”<延岡城> 「天守台」には天守が無く”三階櫓”が天守代用でした” | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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延岡城」(宮崎県延岡市)の歴史と城主について記載しておきます。 
「豊臣秀吉」の九州平定で功績があった「高橋元種」が「延岡」の領主となります。

関ヶ原の戦いでは、「元種」は当初西軍に属していましたが、途中から東軍に寝返ったことから、戦後は「徳川家康」から所領を安堵されました。

1601年、後に「延岡城」と名前を替える「縣(あがた)城」の築城に着手し1603年に完成します。

しかし、「元種」が罪人の身柄を匿ったとのことで改易されて、1614年に「有馬直純」が入城して、お城の修築を行い、天守代用の「三階櫓」を築きました。