有床診療所と有床診療所を合わせて、新しい病院を新設する | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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有床診療所(19床)と有床診療所(16床)を合わせて、新しい病院を新設することはありそうでありません。
大学病院の医局(九州大学病院第一外科)の協力なしには実現しなかったと思います。

福岡県内には医学部を持つ大学は九州大学、福岡大学、産業医科大学、久留米大学と4つありますが、その中でも九州大学は厚生労働省に医療技官として医師を派遣しています。

その人のネットワークがあったのではないかと思います。
いずれにしろ、強固な岩盤規制を打ち破ることは並大抵のことではありません。


規制と既得権益でがんじがらめの医療業界。そのなかの甲状腺外科という”超”専門領域で病院開設を果たした医師の、葛藤の軌跡。

著者の山下弘幸氏は、「医師の開業適齢期は30代後半まで」といわれるなか、50代でクリニックを開設。その後、全国でも屈指の専門病院へと成長させてゆく。その挑戦と発展の記録。
最初は小さいオフィス、手術をする場所とベッドは近くの病院に借りるという「ヤドカリ状態」で出発、ベッドのある有床診療所を経て、甲状腺に特化した専門病院「やました甲状腺病院」へと発展させる。やました甲状腺病院は、地域医療に貢献するだけでなく、全国でも有数の手術症例数を誇る、有名な病院だ。
とはいえ、著者は恵まれた境遇のエリートではなく、早くに父親を亡くし、シングルマザーの家庭で育つ。留年により、大学を中退したのち、一念発起して医学部に入り、医師となる。しかし、51歳で安定した勤務医を辞めることに。クリニックを立ち上げ、その後、専門病院への移行を目指すが、がん発覚、資金、人材の問題、さらには病床数を抑えたい行政の規制など、多くの困難が降りかかってくる。それらの困難をひとつずつ乗り越え、自分の目標を達成した著者の「絶対に諦めない生き方」は、起業を目指すビジネスマンや人生に悩む若い人の参考になるはずだ。