息子はザ・グレート・カブキだった 延岡での農地転用の相談 | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

医療経営コンサルタント、産業廃棄物、在留資格関連の行政手続きに精通した行政書士のつぶやき

延岡で行政書士事務所を開業していた頃に農地転用の依頼がありましたので、お宅を訪問して高齢のご婦人といろいろな話をさせていただきました。

姓が米良さんだったので、気づきませんでしたが、プロレスラー “ザ・グレート・カブキ“のお母さんでした。

本名は米良明久さんで宮崎県の出身だということでリングネームは“高千穂明久“と名乗りました。

その後 東洋の神秘の異名を持つペイントレスラーとして、アメリカでも大きな成功を収ました。歌舞伎風メイク、毒霧、ヌンチャクなどのオリエンタルなキャラクターは、グレート・ムタなど後のレスラーに強い影響を与えたようです。

お母さんは、
延岡市昭和町に住んでいましたが、現地は、いわゆる「再建築不可物件」!



消防車も入らないような敷地でした。
既存の建物がなければ、とても住宅が建てられるような場所ではありませんでしたが、増築扱いで何とか農地転用の届出はできましたが、なんといっても、あの東洋の神秘とうたわれたプロレスラー“ザ・グレート・カブキ“が中学2年まで暮らした家でした。

岡富小学校、岡富中学校をへて愛知県へ移住したとのことでしたが、お母さんは延岡に戻ってこられたようです。

いま延岡に必ず行くと岡富小学校の近くの用務先を訪問しますが、岡富小学校の児童さんたちは朝晩の通学では、すれ違った人に必ず「おはようございます」「こんにちは」と挨拶をされます。

プロレスラー“ザ・グレート・カブキ“の後輩たちは清々しい気持ちにさせてくれます。
楽しいですね😊😊😊