”曽木発電所遺構(廃墟)は、最も心に残る風景の一つになりました(煉瓦遺構と補強工事)” | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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曽木発電所は、野口遵(のぐちしたがう)氏によって、”第二発電所”として明治42年に建設されています。同時期に、かつてあった”第一発電所”が洪水によって流出したそうなので、”第二発電所”の名称は、あまり使われなかったみたいです。(地元の方より)

建屋の完成後の翌年(明治43年)には、4基の水力発電の水車が据え付けられ、本格稼働しています。


 

この発電所の建設目的は、北薩摩の工業化にあったようです。発電された電気の大部分は、現在の水俣市に送られていました。そこから、発展していった会社は、現在のチッソ株式会社を皮切りに、旭化成、積水ハウス、積水化学など、多数の大会社になっています。