当時は西鹿児島駅(今の鹿児島中央駅)と東京駅の間を寝台特急『富士』(ブルートレイン)が走っていた時代で、ブルートレインに乗って父親と2人で上京しました。
私が難聴という身体障害を抱えていましたから、心配な父親は会社を休んで一緒に上京してくれました。
親が子を想う心 ありがたいと思い、感謝しました。
食堂車で朝食を父親と一緒に食べましたが、ジュースは『トマトジュース』にしました。その時に飲んだジュースの味が大変『まずかった』
その後、私はトマトジュースが飲めなくなりました(笑)。
無事に到着してその時は母方の従兄弟の下宿に泊まりました。北区滝野川というところでした。
父方の叔父に世話になったという戦争中の部下の方が文京区小石川に住んでいましたので、父親と一緒に会いに行きました。
東京での大学時代は子供のように可愛がっていただきました。
叔父の優しさのおかげで私に見守っていただきました。
ありがたいことです。