初めての大学受験 付き添ってくれた父親 トマトジュースが飲めなくなった | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

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初めての大学受験は昭和51年(1971年)のこと
当時は西鹿児島駅(今の鹿児島中央駅)と東京駅の間を寝台特急『富士』(ブルートレイン)が走っていた時代で、ブルートレインに乗って父親と2人で上京しました。
私が難聴という身体障害を抱えていましたから、心配な父親は会社を休んで一緒に上京してくれました。
親が子を想う心 ありがたいと思い、感謝しました。




食堂車で朝食を父親と一緒に食べましたが、ジュースは『トマトジュース』にしました。その時に飲んだジュースの味が大変『まずかった』
その後、私はトマトジュースが飲めなくなりました(笑)。

無事に到着してその時は母方の従兄弟の下宿に泊まりました。北区滝野川というところでした。
父方の叔父に世話になったという戦争中の部下の方が文京区小石川に住んでいましたので、父親と一緒に会いに行きました。
東京での大学時代は子供のように可愛がっていただきました。
叔父の優しさのおかげで私に見守っていただきました。
ありがたいことです。




やはり人には悪いことは、出来ないことを身をもって知ることができました。

父親は仕事のことがあるので一足先に延岡に帰りましたが、大学受験の間の2週間は滝野川を拠点に大学受験に通っていました。

しかし、現役での大学受験は全滅でした。

帰りも寝台特急『富士』で帰りましたが、東京駅を18時00分に出発したブルートレインは翌日の14時過ぎに延岡到着です。
延岡到着までの時間が長かったを覚えています。

ここまでお読みいただきありがとうございました🙇🏻🙇🏻