西郷南洲手抄言志録 西郷隆盛の人間的器量の大きさは2度の遠島でみがかれた。 | 行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

行動派行政書士のチャレンジとつぶやき(医療・産業廃棄物・出入国在留許可(出入国管理)・建設業・農地法・土地利用・相続・民事法務等)

医療経営コンサルタント、産業廃棄物、在留資格関連の行政手続きに精通した行政書士のつぶやき

西郷南洲手抄言志録を最近読んで理解できるようになりました。
それは毎年年末に日本テレビ系列で放送されている年末時代劇「田原坂」を見てからでした。

私は高校の日本史で征韓論は、明治維新の諸改革による不平士族の不満を抑えるための朝鮮征服論だと教えられてきました。
しかし、その後歴史は薩長と土肥の権力闘争だとしました。

「敬天愛人」を生涯に渡り座右の銘とした西郷隆盛の人間的器量は2度の遠島 特に沖永良部島での読書に明け暮れた頃からだということでした。
佐藤一斎の言志四録を持ち込んでいたことが記録に残っています。

無私私欲の無い西郷隆盛が朝鮮征服を考えるはずはありません。
その真意は欧米列強に対抗する為に日本と朝鮮は協力して対抗しようとするもの

この考えは実は吉田松蔭、勝海舟と同じ考えでした。

そして渋沢栄一の論語と算盤にも通じています。

その根底にあるのは、2500年前に中国で孔子が説いた『論語』の教え

2500年後の現在でも通用する『論語』とは
原理原則(プリンシプル)です。

ここまでお読みいただきありがとうございました🙇🏻🙇🏻🙇🏻