皆様こんにちは!!


前回迄で、どのようなシャンプーを使い、どのように洗えば良いかについてお伝えしてきました。


又、髪の健康を守り、✨美しい髪を維持していくためには🏠️お家でのお手入れつまり、ホームケアの仕方が最も大切で、その仕方次第で全てが決まるという事も会わせて説明してきました。


髪を綺麗にしていくのは、美容室や✂️美容師ではなく、皆さまお一人お一人が、ご自身で毎日のケアによってのみ、手に入れていけるものなのです。


実はこの事が一番大事で、ぜひ皆さまに再度ご理解頂きたいと思います。


そして、今回からは、🏠️お家ではできない、✂️美容室(サロン)でプロがするメニューについて書いていきたいと思います。


今回はまず、カラーリングについて、説明していきます。


カラーには大きく分けて、白髪に色を入れる白髪染めと、髪の色を明るくするおしゃれ染めがあります。


今でこそカラーをする日本人は増えましたが僕がこの世界に入った頃(およそ35年前)は今ほどカラーをする人がいませんでした。


髪を染めるとしたら白髪を染める事がほとんどで、髪を明るくするという考えが当時はほとんどありませんでした。

髪を明るくしているのは、若い世代の不良(ヤンキー)と呼ばれる方達くらいしかいなくて、一般的には髪を染めて明るくするという概念がほとんどありませんでした。


しかも色のバリエーションがあまりなく今ほど薬も良くなかったと思います。⤵️


したがって髪のダメージ度もかなり強かったのを覚えています。⤵️


今でこそ、グラデーションカラーや、イヤリングカラー、バレイヤージュ、インナーカラーといった、染め方のテクニックも色々ありますが、当時はほとんど一色のベタ塗りだったと思います。


そのような中、日本にカラーの大流行へと導いたきっかけをつくったのが、1990年代半ばから活躍を始める《安室奈美恵》さんです。


俗に言う、アムラーブームですね!!


《安室奈美恵》さんが、茶髪に染めて以来茶髪が、若い子にファッションとして受け入れられ、そこから一気に美容室でも、おしゃれ染めをされる方が増えました。


若い方、それこそ学生さんから、社会人の、20代、30代くらいの方までもが、カラーリングをされる時代になりました。


とは言いましても、染めている事自体がすぐに社会的に認められるかと言うとそうではなく、一部の職業によっては染める事に躊躇するという事もあったのは事実です。


そんな時ある大手航空会社が、カラースケールというものを使って、髪の色の暗さや明るさを判断し、このくらいの明るさなら客室乗務員として大丈夫という基準が作られました。


おそらくカラーのトーンとしては6レベル位だったと記憶しています。

※6レベルは見た目黒っぽいけど、光にあたると少し茶色に見えるレベルです。


このことで、身だしなみに気遣うキャビンアテンダントさんの接客的にも、カラーリングをファッションとして受け入れられたんだと認識しました。


そして当時その事は、カラーもようやく市民権を得たと美容界にとっても嬉しいニュースでした。


個人的には、医療関係者であるお医者さんが明るく染めてくれた時には時代が変わったなと思いました。


今の20代、30代、40代の美容師さんには信じられないかも知れない話ですが、このように、カラーというサロンメニューは1990年代半ばから、しっかりと定着し現在迄にかなり進化しました。


美容業界が、カラーを流行に導いた背景はその他にも色々なエピソードはありますが、カラーの歴史はこのくらいにして次回からは、その種類についてもう少し深く説明したいと思います。


今回で毛髪ディクショナリーも22号ですが、もし髪に悩んでいる方や、ヘアケアに興味があるようでしたら、お時間のある時に、ぜひ毛髪ディクショナリー0号から読み直してみてください。


この情報と内容が必要な方に届く事を心から願っております🌈✴️


《髪と頭皮のあらゆるお悩みに寄り添い解決していくサロン》

イヴァンカ 青山 

TEL  03-6455-5059 

E-mail  aoyama@ivanka.co.jp


[過去の記憶💚🤍]

僕は山野美容専門学校で1年間学んで

卒業と同時に西麻布の美容室に就職しましたが、その山野時代の懐かしい話を今回のカラーの歴史のブログを書いている時に思いだしました。


確か当時山野は、1組64人位在籍し、20クラス位ありました。

今思えば、ざっと1200人のマンモス校ですね!!


1クラス64人中男子は10人少しいて、年代も高校を卒業してすぐの子が大半でしたが、なかには、大学を出て就職してやめて美容学校にきてる人や、24才や25才位の子や年齢も少し離れてる人など色々な経験をしてきた人などもいました。


その中に以前は💷造幣局に勤めていた男性の方がいて、最初の自己紹介で、紙を扱ってたんですが、今度は髪を扱いに来ました。💶紙→髪 って言っていたのを昨日の事のように覚えています。

その方はその落ち着いた雰囲気と信頼もあって、クラスの級長に選ばれました。


そして、なんだかんだで1年が過ぎ卒業を迎え美容室の入店試験を受けるのですが、当時の就職先で人気があったのは、有名な美容室で、Shima、ピークアブー、ヘアディメンション、TAYAなどでしたが、さきほどの級長は、同級生よりかなり年齢が高かったのと、大学も出ていたのもあったので、美容室ではなく、大手美容メーカに就職されました。


そこで、カラーやパーマなどの薬の開発や全国の美容室に技術を教えるインストラクターの様な仕事をしていたようです。


そこで、カラーの先端技術をということで、当時まだ売れていない安室奈美恵さんのカラーをその大手メーカが担当する事になり、その級長が、安室奈美恵さんを当時何回か染めたことがあると後々聞きました。


ある意味その山野の同級生(級長)が、カラーの流行を生む一端を担ってたんだなと思うと感慨深いものがあり、つい当時の話しを思いだしました。


その級長もその後会社を退職したと噂に聞いたけど、今頃どうしてるかな!!