大阪府池田市の住宅街の真っ只中に、「尊鉢厄神」と云う厄神さんがあります。
「そんぱちやくじん」と云うのは通称で、正式名称は「多羅山若王寺一乗院」(たらさんわかおうじいちじょういん)と云うのだそうです。読み方が正しいかどうかは不明ですが、高野山真言宗のお寺です。
そのお寺が何故「そんぱち」と呼ばれているのか?という疑問をかねてより持っていました。
つい先日、春の訪れを前に寒の戻りと、数日ぐずついた、合間の晴れた一日、ちょっと出かけて見ました。
境内には、はっきりとした縁起は見当たりませんでした。
調べてみると…古事記や日本書紀の記述に遡り、3世紀から4世紀の頃、神功皇后が三韓征伐の凱旋の折、未だ仏教の伝来以前だったことから、戦勝品の宝物だった「仏舎利多羅宝鉢」を、散逸を恐れてこの地の石窟に隠したとされています。
神功皇后は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の第二子、仲哀天皇の皇后です。夫の仲哀天皇の急逝の後、自ら軍勢を率いて当時の朝鮮半島に渡って戦を仕掛けたとされています。
伝説の時代だけに、仲哀天皇などの実在は証明されてはいないそうですが、西日本、特に九州には熊襲征伐に出向いたとされる仲哀天皇の縁(ゆかり)の地は沢山見受けられます。
また、その後663年とされる「白村江の戦い」が当時の中国、唐と新羅の連合軍に滅ぼされた百済と、任那(みまな)に置かれていた日本府への援軍であったことを思えば、あながち絵虚言でもなさそうに思われます。
その「仏舎利多羅宝鉢」を、後年この地を訪れた行基が、石窟から掘り出して、聖武天皇の勅命を受け、この寺院を建立した。とのことなのです。
6世紀から7世紀のお話ですから、3百年もの間、地中に眠っていた「尊い鉢」だったわけです。
なんと、気の遠くなるようなロマンではありませんか?
そんなこととはつゆ知らず、いつもご近所を車で走り抜けておりました。