この間実家に帰った時にドラゴン桜の再放送をやってましてね。
なんか懐かしくて、当時リアルタイムではほとんど見てなかったんですけどついつい見てしまいました。
ちょうど模試だかなんだかの回でふと、自分の高校時代の模試とかどうだったかななんて思い成績表やらなんやらほじくり回して見つけたわけです。
通知表とかもあり、まぁこれは子供には見せられないなと。
主に自分の成績表なんかを見せて子供に勉強を促したり、高校時代を懐かしむためのツールとして使用されるアレです。
ドラマでは東大目指して一直線な感じで何人か合格してましたけど、僕の場合はエリートなので大学の付属高校でしたからロクに勉強もせずにバイトばっかりしてました。
成績自体はほとんどオール3でした。
良くも悪くも普通の目立たない少年でしたね。
一応難関校を目指すクラスもあり、その為に何回か模試を受けたことがあったみたいでその成績を見て目ん玉飛び出ました。
現代文の科目で校内1位だったんですね。
まぁマークシートですから運もあるのかもしれませんがブッちぎりの1位でしたね。
校内偏差値80超えの超秀才くんぽい感じです。
代わりに他の教科は2割もとれていませんでしたが、少しだけ僕の天才ぶりが滑ヤ見えた瞬間でしたね。
この辺は他の教科を隠して子供に見せて尊敬されたいと思います。
そんな僕ですからエリート文系野郎として仕方なくそのままエスカレーター乗ってクソ大学行ってやるかと調子乗りましてね。
乗りすぎて内部進学の願書すら出せない状況になってしまったんですけどね。
なかなか校則が厳しい学校ではあったんですけどちょっと調子に乗って髪の毛染めて、パーマかけたりして、盗んだ自転車で走り出して登下校に利用したりと、遅刻早退当たり前。
風が吹いたら遅刻して、雨が降ったらお休みでとハメハメハ大王みたいな生活を送ってましたから、先生方もまさか内部進学希望だったとはと空いた口が塞がらないと言わんばかりでしたね。
ライターごときで無期停学ですよ。
タバコは無かったんですよ。
花火してましたとか通じない。
問答無用で無期停学。
それが高校3年生の夏前。
その頃はなんとなく大学って行くもんだと思っていたので、内部メなら外部と鼻息荒く外部受験に挑戦したんですけど全敗。
一応予備校にも通っていたんですけど、予備校ってのは繁華街の駅前にありますから誘惑も多いんですね。
通い始めたのも遅かったと思いますが、まぁ勉強なんてそっちのけ。
周りの内部進学の人間と遊びまくりまして当然受かるわけもない。
現代文一発の入試があれば行けたでしょうけど、世は英語が入試のすべてと言わんばかりの風潮でして英語で鉛筆転がすしか能がない僕はカスリもせずに現役が終了しました。
周りにも浪人してる先輩とかいましたから浪人でもいいやと思い、今回は4月から予備校に通って早稲田にでも入ってやるかと思ってましたが、高校も卒業し、法律的にも大人的自由を手に入れてしまった為に初日の昼休みで逃亡。
それ以来その予備校に行くことはありませんでした。
最速で諦めた浪人ではないかと自負しております。
この辺で遅い反抗期を迎えた僕は盗んだバイクで走り出し、余裕で捕まり拘束された18の夜。
オザキよりも3つもお兄さんなのにんで今度はせっかくだから車の免許でも取るかと、教習所に通い始めました。
もちろん親には予備校に行くと言って出ているわけですから罪悪感がありましたよ。
あんまり考えてなかったですけどたぶんあったはずです。
さすがにそこまで悪いヤツじゃないです。
覚えてないけど罪悪感に押しつぶされそうになって夜眠れないので遊んでた記憶はあります。
教習所ってのは予約とるのも大変だし、学科なんて決まった時間に行かなきゃいけないということですぐ飽きちゃいまして、これも億劫になってララ暇な時に通うようになりました。
コツは掴んだからもう乗れるなと思って無免許爆走し、余裕で警察に捕まり親を泣かせたこともありました。
その時は仮免許期間だったので仮免許運転違反で12刀B
一発免停です。
未成年なので裁判所行ったりホント面倒な思いをしました。
一番面倒な思いをしたのは親なんですけどね。
どうせ免停だからもう免許もいいかと諦めていたんですが、なんか何ヶ月以内に卒業しないといけないというルールがあって最後の最後慌てて真面目に通いだしたんですね。
教習所の予約システムを牛耳ってる人が知り合いという友達に協力してもらい、なんとか卒業。
7回も府中に行ってようやく免許を取得できました。
なんか同級生の女の子と一緒のタイミングでよく会って話したりしたけど名前も顔も覚えていません。
もしかしたら変なマボロシかもしれません。
不思議な経験もしつつそうして大人になっていくのでした。
19歳になり、ここからの1年間は非常に濃密でいろんな経験が出来ました。
当時大流行した出会い系サイト。
これのサクラをやってみました。
時給もおいしい。
24時間できる。
ボーナスも出る。
なにより他人をこれでもかとおちょくれる。
バカみたいに金の回る商売でしたから、社長もバカみたいに金を落とす。
10代でこんなに稼いでるヤツいないんじゃないかと錯覚してしまうほどです。
その後は払わない客に対する督促をやってみました。
これも時給がおいしく、スーツで出勤し、新宿のオフィスで優雅にカプチー片手に罵声を浴びせる。
歩合も大きくサクラなんか目じゃない程稼げました。
徐々に詐欺色が濃くなって、他の会社でもやりだし、世間でも架空請求という名前が浸透してしまいなかなか稼げなくなってきました。
結局新宿まで通うのもめんどくさいし、周りの怖い大人たちに囲まれて飲み歩いていたらいつか死んでしまうと感じて上手く逃げ出しました。
そこでは大人が本気で殴り合うのも見ましたし、飲みに行ったら清原がいたこともありました。
そんな環境にいると自分が強くなったつもりになったり、何よりも偉いんだと錯覚する盗撮動画無料サイト TOUSATUNEWSようになりました。
ずっと気を付けようと思っていたのにお金の恐ろしさです。
年上のひとがペコペコしてくれて、年下もペコペコしてくれて。
錯覚は恐ろしい。
今は普通の会社になっているみたいで、社長も変わらずにちゃんとした会社になってます。
今でも水商売や金融などの若いのはこんな気分なんだと思います。
結局その時稼いだお金はほとんど形に残らずに消えていきました。
唯一残ったのがDVDレコ最近じゃブルーレイとかHDDとかでしょうけど、当時はVHS全盛期ですから。
TSUTAYA行ってもVHSが並んでいた時代です。
それが10万くらいしましたかね。
SONYのスゴ録覚えてる人もいるでしょうけど、1回も使いませんでした。
脱線に次ぐ脱線でしたが、こんな話はほとんどウソですけどね。
