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オレンジネコのブログ

 
 
すみません開始から1年以上たっても何がなんやら(笑)
ここのコメントもようやく少しお手入れ。
内容は統一感なく色々?やってます。
こんな感じですがたまに役に立つかもしれないことも書いたりなので、
もしよろしければお暇なときにでもご覧ください。

さて、目的の話と少し似ているお話を。

 

結論がさきにあってそこを目指してしまうというのも中々に不幸な出来事です。

 

本来、何か物事が定まるのにはわけがあって、そのわけは、自分自身の気持ちや、環境的なものや、時のめぐりあわせのタイミング的なものもあったりします。

 

そもそも結論が先にあるというのは不自然です。

 

 

以前、職場でこうしたいんだけど、あなたの意見はどうか?と聞かれたことがあります。

自分はその人の話を分析して、考えうる問題点とかそれをクリアする可能性のある方法、その案のよいところを正直に答えましたが、

結果、何故否定的なことを言うんだと怒られたことがあります。

 

はて、意見を求められたのになぜ?と思いましたが、

今度はまた別のタイミングで似たような話が出ていたところに特に何も言わず聞いていたところ、あなたに意志はないのか?と・・

 

結局のところ、その人にはやりたい目的があってそれに賛同してほしかっただけのようですが、当人は気分を害し微妙な空気だけが残りました。

 

と、まぁ、先に結論決めてるとろくなことにならないよなぁって話なんですが、仮に結論としてやりたいからやると決めていることでも、問題点を拾ってどうしていくか?は必要だと思います。

 

先に結論を決めてしまうと、人間そこにとらわれてみるべきものから目をそらしがちになると思います。

本来はその目的とするところに向かってより良いことを目指すか、より良い状態を探った結果、結論としてそうなるものを、先に決めて目指してしまうことで、得られる最良を逃してしまう。

と、そんな気がします。

 

結果や結論はさまざまな状況やなんかを乗り越えたり進むうちにまた違う形になったり、結果的に同じ答えに見えてもそこに至るまでに考えたりしてきたことで内容的には違う意味を持つのかなぁと。

 

そんなことを思ったり・・

ちょっとだけ矛盾しているようなお話を。

 

よく、変えなきゃ変わらなきゃって悩みはあると思うのですが、変わるための日々の積み重ねは大切なことだと思っても、どうにも変えることが目的になるとそれも違うなぁと思ってしまったりします。
 
すごく微妙な話なのですが、変わるための努力はいいと思うのです。
それが結果代わるでも、変えていくことで変わっていくでもそれぞれの良さがあります。
 
例えば、かっこいい人間になりたい。と思ったときに中身から変わる。方法もあるし、外見から変える。方法もある。
 
ただ、変えることが目的になると、外見を変えてそれで満足してしまって、中身がついてきてない・・みたいなことになったりもします。
じゃあ中身をと思っていればいいかというと、中身だけで外見をさぼりすぎれば、その点の残念さは生まれます。
 
これは変わってどうなりたいか?にもよりますが、そのどうなりたいの部分によって外と内両方のバランスが必要なのかなぁと。
 
 
もっと直接的な変化の話にするならば、整形とかはどうとらえるか・・
 
自分は整形すること全てを否定はしてませんが、安易にはして欲しくないし、自然であることのほうがどちらかというといいかなと思います。
 
自分は人のよさは単純に顔の良さではないとは思います。
かわいい。と一口で言っても、顔がかわいい人と、全体の雰囲気がかわいい人がいます。
たまに女性からあの子のどこがかわいいの?的なことを耳にしたりもしますが、別に顔のかわいさだけが人間的に好かれる要素でもなかったりします。
 
整形とか、お化粧の話が男性側から出ると、男のためじゃない、自分の好きでやってるという反論も目にして、それはそれで一理あるのですが、同時に、その人の言うかわいさやそれに対する今の不満を聞いているとどうも理由が別のところからきているのかな?と感じることもあります。
 
整形の話に戻ると、例えば、鬼の形相に見えてしまうとか、極端な老け顔とかを気にして人と話せないとかで、整形をきっかけに変われそうだ、というのはなんとなくわかります。
 
一方で、そのままでも十分にかわいいけど、ここが気に入らない、というのは、それもわからなくはないのですが、本当にそこなのだろうか?という疑問も浮かびます。
 
よりきれいになりたい、かわいくなりたい・・それはかっこよくと置き換えてもいいですが、より良いものを目指すという意味では気持ちはわかります。
けど、何か自分の中で足りないと思う部分やコンプレックスってそれそのものが原因ではなくて、根本的な自信のなさや、周りの評価を気にしすぎるがゆえの場合もあります。
 
本当にそれで解決すればいいのですが、根っこの部分がどうにかならないと、いくら変えてもまた別の部分が気になるだけ・・という場合もあり得るので、これもまた外と内のバランスかなとも思います。
 
結局のところ、本質的な部分が変わらないと変えられないのに、見た目を変えることばかりが目的になってしまうと、心のバランスは不安定なまま残ることになる気がしてしまうのです。
 
 
かわいい自分に変えることで問題が解決すればいいのですが、
本当の問題は人目を気にしてしまう自分かもしれないし、
評価されないことへの不満かもしれないし、
自分じゃない別のものと比較しての自信のなさかもしれない、
だとしたら、自分に自信を持つこと、自分が自分を評価できることが、本当の意味で変わるということのような気がするし、
実はそう気づけば、そこから変わろうと思えれば、表面的な悩みは消えていくこともあったりするかなぁと。
 
 
自分は、見た目は正直微妙ですが、子供の頃、これに似たことを考えて、いいカッコしてもかっこよく見せてもこれじゃぁ仕方ないなぁと思ったことがあって、そう思ったからか、この微妙な見た目の割にはさほど不満なく生きてきたように思います。
 
まぁ鏡を見れば、あぁ・・とは思いますし、見た目違ったら人生違うのかもと思うこともありますが、同時に自分らしい見た目でいいかとも思います。
むしろ中身の足りなさ駄目さをどうにかするのが先決で、こう、やる気とか負けない意志とか、そういう部分がもっとちゃんともてれば自分が自分を評価できてかっこいい風にはなれるのかなとは。
 
ただそれが目的ではないので、それは後でついてくるおまけみたいなものですが、でも、そうして、本当にどうにかすべきところをひとつひとつクリアしていくと、ちょっとずつ自信的な部分を変える何かに近づいているのかなぁと・・
 
とはいいつつ、手を抜いたままのファッションセンスというか、そもそもまともな服を持ち合わせてないのはいい年した大人としては問題かなぁとは思ってますが・・(汗)
 
きっと、ようやく自信を持てたころにはしょぼくれたおじいちゃんに・・
 
なんにしても変わること自体を目的にしないことと、
適度なバランス。が、大事そうです。(笑)
 
自分にどのやり方が本当にあうのか、本質はなんなのかを見失わないように・・

 

好きな人、大切な人、そんな人達が幸せなことは、自分にとってもまた幸せなんだなって感じます。

 

一方で大変な時、辛い時は何かしたい、ともにありたいとも。

 

ただ、実際には自分が何かできるなんて思いあがりで、そして仮にできたとしても、できない瞬間もあって難しかったりもどかしかったりすることも。

そもそもだれも望んでいないことや、望んでいても本人がしなければ何ともできないことも。

 

それは人それぞれだったり、その時々で違ったり、その内容にもよるんだと思いますが、中にはそばにいられる人、そう思っても叶わない人、これもまた様々です。

 

幸せも悲しみもともに共有できる誰かがいることは幸運ですが、そうでなくても誰かの幸せを願いそれを幸せと感じる幸せもある。

まぁ何にしろ自分ができることをしていくだけで、望まれない時はもちろんそれもやめなきゃですが、なるようにしかならない。(笑)

 

 

ただ、人のことで幸せになれるのは、ほんとうれしいことですよ?

そして他人ができることはほんの少し何かを変えるきっかけに手を添えるぐらいのものです。