毎日通った通学路、毎日見た風景、
そこにいつもあったもの・・
まぁ生まれた場所なんて覚えてないし、
育った場所も引っ越したりしてしまえば案外これといったものはないかもしれないけど、
でも、なんとなく記憶の片隅にあって、当たり前のような何かってあったりするように思います。
久しぶりに通りかかって、その風景がそこにあったものがなくなっていて、少し寂しい気持ちになったのなら、そこは何か根っこのようなものだったのかなと。
引っ越しをして、依然すんでいた場所に他人がすんでいると、少しちょっとだけわずかに嫌な気持ちになったりする。
けど、今度はそれがなくなってしまうとまた別の気持ちになる。
きっと自分の居場所だったところをとられたような気分になるも、その場所自体がなくなると複雑な気持ちになるんだと・・
安心できる場所、安心できてた場所、
今が、その頃を忘れるぐらい安心できる居場所があればそれほどでもないのかもだけど、それでも根っこのその落ち着いてた場所はやっぱり気にはなる。
普段忘れていても、いざ目にすると、気にはなる。
そして、今の居場所を思う。
けれど、かつて住んでいた、かつて通った思い出の場所は確かに根っこの先のひとつに思えるのに、今まさにいる居場所は案外文字通りの場所としての居場所でしかなくて、それよりも気持ちとしての居場所を確認してしまう。
ただの住まいや街並みや日々の生活の場ではなくて、人として自分が存在していい場所を探してしまう。
そんな時、誰かの顔が浮かぶならより安心できるんだろうなぁと・・・
・・・・・
まぁ自分がいうなって話ですが。(笑)
まぁ話はそこではなくて不思議だなぁというのと、今を生きるには、そういう根っこと、ボッチでも人が苦手でもいいけど、人との関係って一応必要かなと。
気づいてないだけで、自分を支えているものってきっとたくさんあって、それをつないでるのって案外ささいな人との関係の積み重ねだったりして、そこから広がったり繋がったりしていくのかなぁと。
まぁ、自分は狭く深くなってしまう困ったタイプなんですが・・
まぁやり方の違いなので何がいいかはその人次第だし、狭くても閉じてなければいいかなと。(笑)
なーんかまたワケわかんない話してますね。(汗笑)