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オレンジネコのブログ

 
 
すみません開始から1年以上たっても何がなんやら(笑)
ここのコメントもようやく少しお手入れ。
内容は統一感なく色々?やってます。
こんな感じですがたまに役に立つかもしれないことも書いたりなので、
もしよろしければお暇なときにでもご覧ください。

 

あなたには好きな人がいますか?

 

恋愛感情として、人として、家族として・・・

 

時々考えることがあるのですが、自分はこうして定義しない、されていない大切な人がなんにんかいます。

 

例えば長い間ただただ連絡を取る相手は友達とも仲間とも好きな人とも定義されず、知り合いとかって感じのままどういう関係の人かは自分でもよくわかりません。

 

例えば長い間相談にのる人は、やはり友人とも好きな人ともなく、相談話をする知り合い・・

 

ともに元同僚で異性ですが、恋愛感情とかがあって何か関わりを維持しているとかいうわけでもなく、元同僚というには歳月がたち、はたまた普段会うわけでもないので、もういよいよよくわからない知り合いですが、ただ少なくともたぶん大切なかかわりの人達です。

 

友人は学生時代に友人だったから珍しく友人と分類されていますが、大人になると、友人という定義がそもそもわからなく、そんな分類もあまりしないまま、なんとなく知り合いが増えていきます。

 

好きという感情もそれと同じで、どういう感じに好きなのかは未分類なままなことが多いです。

 

少なくとも嫌いじゃない、もしくはそれよりは好きという感覚を持つ相手ですが、面白いとか心地よいとか、人柄がとか、いろんなパターンが。

 

元々人付き合いが少ない自分ですから、嫌いであれば無理に人付き合いやかかわりを持つ必要性もないというのもあって、少なくとも自分から関わっている人は何らかの形で好きなんだと思います。

 

たいていは人間的にとか人柄とかいう部分ですが、じゃあ何が恋愛の好きとは違うんだろう?って考えてもそこに明確な違いはない・・。

 

まだ正解が何かはわかってはいませんが、なんとなく、気持がどう進んだか?な気がしています。

 

たぶん、どの好きでも、それは好きなわけで、後はそこから先、より違う好きに育ったかどうか?もしくは関わり、やり取りなどを繰り返すうちにどう気持ちが増していったか?なのかなと思います。

 

そもそも恋愛で好きだった人にはどう思っていたのか?と振り返ってもなんとなくはなから恋心で近づくということがほとんどなかったので、やっぱり同じ感想になります。

 

ふと思い出したのが、昔お互いに好きでいた相手と久しく再開した時のこと。

 

その相手になぜ急にその時だったのかはわかりませんが、私に恋愛的な気持ちがある?私は今はないからごめんね。的な話をされたことがあります。

 

当時再会した時、その人にはちょうど好きな人がいて、実のところ自分も気になる人はいたので、そういう気持ちで連絡を取ったりあったりしたわけではありません。

 

なんならその人の恋愛相談にものったぐらいなのですが、なんとなくその人は自分がもしそう思っていたら申し訳ないと思ってくれたようです。

 

自分の中では大切な人、けど、昔なんとなく疎遠になってしまって申し訳ないことをした人・・という気持ちはありました。

 

その人は自意識過剰かもしれないけど・・と、気にしながら切り出してくれたのですが、その時の自分はその人のそういう言い出しにくい話をしてくれた気持ちがわかって、きまずい気持ちにさせまいとあいまいな答え方をしたのを覚えています。

 

そういう気持ちになればなれるかもしれないけど、今は昔好きだった大切な人で、そのつもりじゃないよ・・的な・・

 

はっきりとした言葉は覚えていません。

ただその後に自分も今気になる人がいるし・・というその相手の話をした気がします。

 

今振り返ると、その時の言い回しってまさに今のこの話そのものだったんだろうな・・という気がします。

 

その人は少なくとも一度は異性として好きで確かに意識していた過去があって、そして再会しても大切な人だと思える人でした。

 

そういう切り出し方やなんかも、元々の誠実さのある性格からだとはわかったし、戸惑ったり悩んだりと、相当話しにくいことをわざわざ聞き伝えてくれたそんないい人です。

 

なので、そういうつもりで関わったわけではないことと、ただそう思わせてしまったかもしれない部分が自分にあったかもしれない・・つまり、気持が進んだら確かにまた好きになってしまったかもしれないことを短くまとめて答えた結果があいまいな言葉になったのですが、かえって混乱させてしまったかもと今でも後悔のある言葉でもあります。

 

その後、その人自身の恋愛の結果とその時の気まずさからか、もしくは自分の実にあいまいな答え方のせいか、連絡を取ることもなくなってしまいました。
 

今でもあの後大丈夫だったのか、その後諦めないでいたい彼、もしくは新たな出会いで幸せになったのか、心配だったり願う気持ちはありますが、その当時からその気持ちが進むこともなくそのままなので、やっぱり自分の中では大切な人で、好きを何かに形づけるまでには至りません。

 

 

と、なんかこっぱずかしい話をした気もしますが。こういう定義されないままの関係性の人というのは案外自分の中には多いです。

 

あまり自分が恋愛に向かないから・・経験が少ないから、失敗した気持ちがあるから・・いろんな見方考え方はできそうですが、でも今はっきりしているのは、大切な人たちがいることと、好きに無理に理由をつけるとよくわからなくなるということ、ぐらいです。

 

恋に恋するつもりもないのでなんとなくその過程をすっ飛ばして大切な人を見つけるのが先になってる気もしますが、ただ、恋愛のくくりで無理に押し込めるよりも大切な人達なんだろうなぁという気はします。

 

その気持ちがこの先どういう分類の形になるのかはわかりませんが、人間的にせよ、恋愛的にせよ、家族愛的にせよ、大切な人達であることは変わらないのでそれでいいかなと。

 

あ、ちなみに、ですが、少なくとも今の段階で恋愛ではないといえる関係はありますよ?

 

既婚者であったり、はっきりと彼氏持ちだったり、そういう他人の幸せを打ち砕く気はないので・・。

 

相手の幸せを考えたらそれを壊すことがいいとは思えないし、仮に幸せじゃなさそうでも、相手の相手もいることだったり、既婚者なら家族もいるでしょうし・・。

仮にそれでも好きだと気付く人にであったら、ただただ思うつらい恋愛を一人するだけです。(汗)

 

恋愛は確かに素敵で楽しいことやうれしいことも増えますし、キラキラしてる感じもありますから、したい気持ちはありますが、なんか無理にするものでもないと・・。

 

大切な人にしろ、好きな人にしろ、それがどんな意味のどんな形のものだったかはふと振り返った時に知ればいいのかなと。

 

もちろん、恋愛をしたいのならば思いをそう告げなければならないとは思いますが・・。(汗)

 

まぁはっきりそういう認識のない関係性が多いのは自分がまだまだお子様だからかもしれませんが・・(笑汗)

 
まぁとりあえず人として好きだったり大切な人がいるってのは自分は幸せなことだなぁと思います。
だってその人が幸せなら自分もうれしくいられますから・・。
 
 

といわけで、今日はそんな人の誕生日です。

どうか幸せな一年になりますように。

 

 

 

ずいぶん偉そうなタイトルをつけていますが、別に演技するお仕事とかの人ではありません。

小学校の制作映画では完全にいも演技でした。(笑)

 

とはいいつつ、今の時代みなさんも日々演技を見る人・・ではあると思います。

 

なんのこと?と思われるかもですが、テレビにしろ映画にしろアニメにしろ、はたまた日常の一コマでさえそんな場面はあります。

 

 

自分は演技をすること見ることについて昔からよく考えていることがあります。

 

ただ、演技をするだけなら、恥ずかしささえなければたぶん誰でもそれなりにはできるだろうなぁということと、気持のつながりの部分。

 

誰でも、というのは、要は日常生活でもある程度皆演技をしている部分はあるだろうということと、想像してそれっぽいことは案外できてしまうんだろうなぁという感覚があるから・・なのです。

 

 

例えば自分は人付き合いはあまり得意でない世間様から見ればボッチかひきこもりか?みたいな風に思われても違和感ない人間ですが、お仕事では接客販売のお仕事をしていたことがあったりします。

 

なぜできたのか?結論を言えば、世の中見渡せばそんな人は山ほどいて、それを見てればそれっぽい感じで動くこと自体はそう難しくないからです。

 

要はそういった場面でのそれっぽい真似事でも成り立ってしまう程度に世の中そういう仕事を見る場面が多いのです。

 

なので、たぶんここまではできるだろうなぁという予想と、でも本質的に得意なわけではないからたぶんこのぐらいかなぁという想像は事前にできました

 

ただ、実際に仕事を始めると、元々の性分というか性格が災いして、まじめに気持ちを添わせてやり始めてしまいました。

 

実はそこらへんが今回のお話のいいたいことに繋がるのですが、たぶんよく出会う店員さんのタイプは、口がうまかったり、知識や自信あるお勧めでいろいろ買ってもらう店員さんだと思います。

 

結果、買ったのにタンスの肥やしになったり、後悔することもあるのですが、自分はそれが嫌だったので、後悔する買い物なら薦めないつもりでやっていました。

 

お店にどう考えてもニーズに合わない商品しかなければ近隣店舗を案内することも・・。

 

お客さんの世間話にいちいち共感して、それに対して自分の気持ちから話をしたり・・。

 

結果的にそういう感じのせいか、わざわざお褒めの言葉をいただいたりというのも何度もありました。

 

 

ただ、これは自慢ではありません。

そんなことをしていると、正直いいことばかりではないこの手のお仕事では疲れ切ってしまいます。

 

気持ちを込めるということはその返ってくるものの種類によってはつらさも増えてしまうのです。

 

口先だけであわせて心内は何も考えてないぐらいのほうが正直今の世の中楽にこなせます。

 

 

ただそれは気持ちには響かない。

 

これってまさに演技の話と同じだよなぁって思うのです。

 

何かの作品を見ているとき、自分は前後のつながりとか、気持の流れとかが結構気になります。

 

面白さとシリアスさが混在する作品などは特に難しいと思うのですが、実際にはそこが別々なぐらいに感じられる作品も多いです。

 

ドタバタ劇からの急な深刻なシーン。

 

本当に表現のうまい役者さんだと、ちゃんとそこの気持ちのつながりが取れていたり、その急な違いを感じさせないほど引き込む力があります。

もちろん作品の演出やなんかの問題で台無しなものもありますが、たぶんその差が本当に演じるって領域なのかなと思います。

 

そうでないものは違和感がやっぱりあって、話題だったりする作品でも正直つまらないな・・って思うこともあります。

 

一時話題だったカメ止めとかはその心理の流れの違和感が逆にうまく使われていた作品かなぁとか思ったりするのですが、最初見たあたりではなんだろうこの変な話の流れは・・ってあたりが、後でその裏側を知らされると一気につながりだす、演出のうまさがあったりする気がしました。

 

と、話を戻して。

たぶん、そこそこの演技はそれなりに覚悟さえ決めればできると思うのです。

ただ、本当にそこで泣けるとか、つらいと悲しいとか、そういう感情の部分は、そのキャラクターなりがそこに至るまでに何を考え何を経験して今どう思ってるかっていう観察や想像と共感みたいな気持ちの根拠がないとなかなか伝わらないのかなと思います。

 

そこまで気持ちを寄せると、実際に楽しいことだけではないつらさや苦しさのフィードバックに自身もさらされます。

気持ちを動かすってことはきっとそういうことなんじゃないかと思います。

 

自分みたいに日々の接客でそんなことをすると疲れてしまいますが、きっと何かを演じることを本気でやりたい人やなんかには意味あることじゃないかなぁと。

 

これって人間関係でも言えることで、それっぽい人と本当にそういう気持ちが伝わる人の差にもなっている気がします。

 

自分はかわいいもの人は好きですが、世の中のかわいさにはすごい警戒心があります。

 

それはその人の行動や言動に違和感がありありだからでなんかこの人繋がらないなぁという人はやっぱり裏で残念な人が多かったりもします。

 

きっとそういう世の中だから自分の駄目な接客に喜んでくださったお客さんがいたのかもしれませんが、けどどうじにそれはそういう気持ちのかよわせ方をしてくれたお客さんのおかげでもあるなと思います。

 

誰になにが届くのかはわかりませんが、自分の気持ちを程よく開いて、相手や様々な人キャラクターの気持ちを知って共感できていれば、演じる人にしろ、人間関係にしろ、回数重ねれば後からついてくる技術もしくは事前に勉強する知識とは別の大切なものが得られるのかなぁと。

 

自分は役者ではないので演技や役者としての厚み深みは目指しませんが、人間的には少しでも成長できたらなぁと思います。

 

というよくわからないお話でした。

 

けど、今気持ちは少し元気・・

 

疲れてはいても、やっぱり人の幸せを願う気持ちとかってなんとなく元気が出ます。

 

たぶん自分のほうばかりを見ていると人間は気持ちが疲れてくるのかな・・

 

それとも、それだけ相手の幸せがうれしいのかなんなのか・・。

 

 

自分は世の中素敵!これ素晴らしい!ってタイプでもないですが、でも地味にそう思います。

 

 

まぁとりあえず体調は元に戻したい・・本気で風邪ひいたら今はまずい・・たぶん高熱出してダウンするパターンです。(汗笑)