勝ちの話をしていてついになると思った価値の話を少し。
今回は先に前置きしておきますが、価値ってくくりで話を進めるのはこれまたあんまり好きじゃなかったりします。
無価値じゃだめなのかってのもあるので・・。
ただ、話の都合上、価値という言い方を多用するのでご理解くださいませ。
勝ちは少ないけど、自分の価値はなんだろう・・と、そう考えてみました。
長所とか特技と書くと、いや自分よりできる人が・・と思ってしまうので、
自分の中で価値あること、中では幾分なんか役に立ってるかなぁというスタンスなのですが、
うーん、自分は自分自身にとっての結果を求めないことにも一生懸命になるところがあります。
要は対価がないとか報酬がないとか成果として残らない可能性があって自分には直接の恩恵がなくても構わないというか・・。
たぶん自分の価値観はそこに隠れていて自分の中では価値あることのほうに分類されているのだと。
よく人の相談に乗ったり余計な助言やら話をするのも、
それが相手の可能性を広げる可能性があるならと思うところからだったりします。
人間、どんなに頑張っていても、どんなにいい人でも、うまくいくとは限りません。
ただ、それは結構な確率できっかけをつかめないでいたり、自分の考えの範囲ではぬけだせないからじゃないかなと思う部分も。
自分自身がそうだというのもありますが、選択肢の幅としての情報はあるとほんとに助かります。
凝り固まってしまった行き詰まりの思考回路も、人の言葉や考え方行動の中にヒントがあったりもします。
人間は経験の影響を強く受けて生きてしまうと思うので、やっぱり考え方や捉え方の大きな違いは出るものです。
特に強い影響を受けていきてしまうと、そこから抜け出せない負のスパイラルに陥る。
悩みやすい人も、暗い人も、自己評価の低い人も、それなりの経験則でそうなっていたりするので、なかなかに難しいのです。
以前、悩んでしまう人に、悩まないでといわれて困ったという話をされました。
確かに悩まなければ問題解決なのですが、悩んでしまうのだからどうにもならない。
と、まぁそんなことは世の中常々あります。
そして、そんなようなことを無駄に自分は考え続けてきたので、そんな時、役に立つならとお話をした覚えがあります。
自分が自分の中に少し認める価値には、そういう世の中的に無意味に思えることをできること・・でしょうか?
勝ちにいかない、すぐに結果を求めないがゆえにできること、なのかもしれません。
物事の価値は一見世の中や、その対象者が決めているようにも思えますが、それを見出していくのは自分自身の作業かなと思います。
アドバイスを例にとっても、
する側がそのことにどんな価値があるのかを想像し可能性を見出していくことと、
される側が、その言葉にどんな価値を見出せるか、
と、それぞれ2人の自身が見出している部分があります。
世の中で、そんなのはこうすればいい、そんな必要がない、と言われるようなことでも、
そこに見いだせるものがあるならば、それは価値あることなんじゃないかな、と思います。
もちろん、相手のいることは、相手にとって無意味であれば、その当人には無価値なんだとは思います。
だから、どんなに丁寧に相手の話を聞いて、それに対していろんな可能性を考えても空回りになることもある。
無駄と思ってもやり方を変えて続けることもできますし、
そもそももう無駄だなと思えばやめることもできます。
自分の場合は、相手の答えはわからないながらにも、相手にとって価値がなさそうだな・・というときはそっとやめたりもします。
その時にもし相手がまだそれを必要なら必要とすればいいですし、そうでないのならそこまででいいかなと・・。
価値のあるなしで行動してるわけではないですが、元々少ないキャパを最大限につかってのことなので、
必要ない人に無理をするよりは、まだ必要な人に少しでもと思うからだったりします。
それに、言葉は誰にでも届くわけではないので、たぶん届かなくなってしまえばどんなに必要かもしれないことでも、たぶんあまり意味をなさないので・・。
そこは、自分にとって価値あることでも相手の価値観しだいで価値は無くなる、ということかもしれません。
ただ、そのこと自体が自分にとって無駄だったかといえば、仮に誰かのためでも、自身がそこから得たものは価値があると思います。
勝ち負けでいえば負けですが、そこに価値は残る。と、そう思うのです。
最初に書いたとおり、価値があることだけが大事、一番とは言いません。
というのもこの話の中にも矛盾するように存在する、一見無価値なものが価値あるものであることもあるからです。
成果という意味では、無となってしまって、一見無価値なことになってしまっても、やっぱり無駄ではないこともあると思います、
仮に無駄なことのように見えても、そのことを通して得たものが新たな価値となる場合もあると思います。
価値をどう見出すか、価値を誰かに見出してもらえるか、
普通は、じゃない、自身と評価してくれる誰かの言う価値を信じてみるのもまた意味あることなのかなと思います。
ほとんど価値のないように思えたことも、それをよく育てていくことで、飛び切りの価値を持ったものに変わるかもしれません。
悩んでしまうことも、だったらちゃんと悩んでしまえば、誰も悩まなかったことを知ってるという価値になるように。
悩まなかった人が見ない世界を悩んだ人は見てきているのです。
ネガティブな人に、それは転ばぬ先の杖、リスク対策だから悪いことじゃないよ。ってなことを言った覚えがあるのですが、
これもどこに何に価値を見出すかだと思います。
確かに世の中ではマイナス思考なだけで負けているようなイメージはあるかもしれませんが、
なんも考えずに、失敗して初めてパニクったり、他人に腹を立てるよりは、ずっと前を向いて考えているすごい人、だとそう思うのです。
悩む人は悩んだ分、悩まない人よりそのことを良く考えていると思うのです。
もちろん、弊害もあるとは思います。
けど、それは悩まないがゆえの弊害と同じことで、悩む人だけの問題ではないと思います。
後はどこまで悩むのか、今どうするのか、どこからが無駄なのかを線引きして分けてあげれば、悩むことの価値を高めて強みにできるんじゃないかと思うのです。
ネガティブで、本番も緊張して失敗するなら、本番は楽しめばいい。
どの道、先にも後にもで悩むんだったら、すでに悩んだ分と、終わって悩む分に任せて、本番はそのことをめいいっぱい楽しんでやる。
悩むことが悩みなら、思いっきり悩めばいい、けど、今の自分でそれ以上悩んでも先に進めないことなら、寝てまた明日、明後日、力の付いたいつかに悩めばいい。
後ろ向きじゃだめ、悩んじゃだめなんじゃなくて、
ネガティブでも悩んでもいいから、せっかく悩んだそれを大事にしてあげればいいんじゃないのかなと。
そうして価値あるものにしていければ、経験が気持ちを上書きして少しずつでもいいことに繋がりやすくなるんじゃないかなと。
少なくとも悩まないふり、前向きなふりをして、目を背けている人よりはずっと立派だなと自分は思うので、自信を持っていいと・・。
と、また話が脱線気味ですが、価値を持つ、価値観てのは、その人の中で育てられるものだと思います。
ただその為には無価値だと洗脳されている自身を洗脳からといてやらねばならないので、一人じゃ難しかったり、大変だったりします。
その時、助けになるのは、周りの誰かだったり、実はそうして悩んだり後ろ向きだったりする自分自身だったりもします。
自分が悩み、後ろ向いてもがいた道を、少しでも意味あるものとできた姿は、同じく悩みを持つ人にとっての希望ともなります。
人間は、常に誰かが誰かの助けになっている。
本当は価値あることはどこにでも転がっていて、気づいていないだけなのかもしれませんね。