「長生きなんかしたくない。つくづくそう思う。」
自分が辛いのは自分で耐えられるけど
自分の大切な人が嘆き悲しむ様を見るのは堪える。
かける言葉も見つからない。
永遠の命なんて物語の中でしかないのだけど
もし自分一人だけにその命があったなら
どんなにか寂しい人生だろう
自分の周りの大切な人たちが年老いて死んでいくのをずっと見続けるぐらいなら
自分の終焉もそんな悲しみの連鎖から解放される一つの安息なのかもしれない。
まさか今日が君との別れになるとは
わかっていたなら自分はどうしたろう。
残された側はきっと無駄だとわかっていても後悔と喪失感で苦しむのだけど
去った側は案外そんなこと望んでもいないのかもしれない。
亡くなった人を失ったと思うのは生きている人間の勝手であって
別に今もそこに存在していることに変わりはないのだろうから。
「もういい、自分は長生きしすぎた」
病を得て、それでも戦おうと思う気力は自分が生きている意味があると思う人間にしかわいてこないのかもしれない。
それは自分を必要としてくれる人間がいるかいないかでも全然違う。
自然のままに逝きたいと思う時はそれでいいのかもしれない。
それでも元気になって欲しいなどと言うのは残される側の勝手なのだ。
楽しい楽しい煌めくような人生のひと時も
また次があるかどうかなんて誰にもわかりはしない。
生きている者同士でも別れはやってくる。
それはいつなのか、何故なのか誰にもわからない。
後悔と喪失感に苦しむ前に
もしも明日君に会えなくなるなら
今日の自分は君に何を伝えたい?
そう思いながら日々人と接していけたらその方がいい。
とても難しいことだけど
明日、その内、いつか・・・
そんなのがいつ閉ざされるかなんて誰にもわかりはしないのだから。
そしてもしも次がまたやってきたら
それは当たり前ではなく、実はとても幸せなことなのだ。