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昨晩の秋の高山祭『宵祭』は5年ぶりの開催だったのですね!そして9日17時時点で10万8千人の観客の発表 もしかすると私が記憶している和やかな雰囲気じゃなかったかも知れませんね
10日の本祭も大盛況のうちに終え高山祭の余韻に浸っている方も多いでしょう。
さて今回も前記事の続き2016年秋祭の『宵祭』です。この日は早朝から大雨だったので祭には寄らないで「奥飛騨温泉郷の栃尾温泉」まで行って午前中を過ごしました。そして雨が上がった夕刻に高山に戻り祭見物をしました。
日が暮れるとお囃子衆と神楽台に続いて、提灯が燈された屋台が町を曳行されていきます。そして宵祭でも昼間のように「屋台と観覧客との距離」は変わらず近い距離で見物できました。
献燈提灯と屋台だけでも素晴らしい佇まいだけど、高山の古い町並みが合わさってこその優美な宵祭である事を町の所々で実感しました。もし注文をつける事が出来るとすれば、些細な事ですが「屋台提灯と献灯の電球(LED)演色性」が統一して欲しいことです。
それにしても高山祭りは伝統文化を守り継承してこられた高山の人々に、良い意味で魅せつけられてる思いがしました。京都の山鉾町で町家が高層マンションになり、景観がガラリと変わるのを間近に見てるぶん、町の景観を守る事の難しさと苦労は想像がつくところです。
そう言えば宵祭で獅子舞やお囃子が奉納されてた場所?では、多くの観客が動かなままだったので近づけなかった事を思い出しました。たぶん見所の一つだったのでしょうか?もしかするとカラクリ奉納もされてたのかも知れません。
それでも此の2016年は屋台と一緒に移動しては、気に入ったポジションで観れていた印象が濃く、気持ちよく撮影できてたと記憶してました。ただし先に書いたように混み合ってる場所に近づかなかっただけだったかも?と、今年の宵祭のニュース映像を見て思いました。もともと前を争って写真を撮る性格でもないので、それが功を奏して良い印象のまま祭を見終えた気もしています。
安川通りを曳行されていく屋台(フィルム撮影)です。まだまだフィルムカメラが主力の時代で「自然風景写真」をポジフィルムで撮るのがメッチャ流行った頃でした。自分自身は「自然風景」ももちろん好きでしたが、「〇〇風景」というように「風景写真」をもっと広い意味で捉えて撮っていました。
※1996年春の『遷座400年記念 日枝神社臨時大祭』時の写真かも知れません。