疲れていたり、悲しんでいたり、患っていたり、人生の様々な時期がありますね。  


 そんな時に、こころからの好意で、そばで、力づけてくれる人がいる方は、幸せです。


 気をつけたいのは、そういう苦難の時期に、自分の利益のために私たちを利用しようとする人も、近づいてくることです。


 分かりやすいのは、新興宗教です。多くの信者が、自分が困難な時に、この新興宗教が救ってくれたのだと言います。ご自分が幸せならいいのでしょうが、新規信者を勧誘したら煩悩が消えるとか、お金を寄付すれば救われるとか、その組織のトクになることを隠して、あたかもあなたのためだというポーズで勧誘する手口は、悪質だと私は思います。


 私の場合、相手がまごころから近づいてくれる時には、ホッとします。自然や、そこに生きるものたちとつながっている安心感です。


 私を利用しようとして近づいてくる人は、最初は、さまざまな活動の支援者として立ち現れることが多いです。


 けれど、共に活動をしているうちに、息苦しくなります。私の自由は私のものなのに、介入してきます。そんな権利は、相手にはないのに。


 最後には、私や、こころからの人たちの活動を、あたかも自分がいたから達成できたこととか、その信仰のおかげだとか言いふらしてゆくことになるでしょう。そうならないための手だてを取りました。


 何かの活動を続けていると、必ずといっていいほど、あなた方を自分のために利用しようとする人が近づいてくるから、気をつけなければならないと、始めにアドバイスをくださった方がいらっしゃいました。その危惧が現実になりましたが、相手に利用される前に解決できたので、アドバイスがありがたかったです。


 自分が疲れたり、弱くなっている時にはとくに、原生自然の豊かさ、そこに生きるものたちに触れて、なぜ、人間だけが、次々と人災を生み出し、いのちのつながりを断っているのだろうかと考えたり、感じたりしてみることは、必要なことだと私は思います。


 先人たちは皆、空、森、大地、水、海を見ながら、そこに棲むものたちに学びながら、人間としてある生き方を見い出していったのだと感じます。