ネットで、ガン発症後の、忌野清志郎のドキュメンタリーを観た。私は、ことばがはっきりと聞き取れるキヨシローの唄い方が好きで(声自体も好き)、人柄と才能に恵まれた稀有な「バンドマン」(キヨシローの言い方)だと思っている。


 その中に、「ゆず」の10周年で唄うキヨシローがいた。「ゆず」と言えば春馬さんがずっとファンだった二人組。ここで、キヨシローと春馬さんの接点があったら、春馬さんは、いま、ここにいると思った。


 前にも書いたが、キヨシローは、バンド仲間のチャボさんが不調で舞台に出てくることができなくなっても、それがチャボだと言える人だ。


 泉谷しげるさんは以前、まだ素人の自分を、他の人は無視したが、キヨシローだけは声をかけてくれたと語っていた。


 人の思いも、音楽も、響き合いだ。


 動画の中で、キヨシローと共演した英語圏のバンドマンが、何語を話しても、どこに生まれても関係ない、日本語の分からない米国の人々がライブハウスでキヨシローの唄を生で聴いて、こころが震え、感動していたことを話していた。


 人間が生きるとは、こういう響き合いではないだろうか。春馬さんの思いは、唄や演技になって、私たちに響いてきた。私にとってはとくに、春馬さんの唄声が忘れられない。


 キヨシローも、音楽業界で人権侵害にあって(その親会社が電気業界で、原発を止めよと唄うCDが発売中止となった)、十代の頃から相当の困難を心身に受けてきたが、のちに養父母とわかる親や、結婚相手や、バンド仲間に恵まれ、58歳で亡くなるまで、尊厳に満ちた自由を生きた。


 こういう生き方を、春馬さんもできたに違いないと思う。俳優業を少し休んで、キヨシローと共にバンドマンの一員として各地をめぐれば、自分が子の時から属してきた業界が、どんなに貧しいか、はっきり分かったのではないかと思った。


 キヨシローの息子さんは、音楽で生きたいと願ったが、のちに別の人生を歩む。それもまた人生だ。息子さんはプロとして舞台にたたずとも、キヨシローの音楽は、息子さんの中で響いているに違いないと思う。


 この、人間だけが過ちを犯し、いのちのつながりを絶ち続ける社会では、仲間が必要だ。


 仲間は、森羅万象、どこにでもいるいのちだ。花でも、虫でも、魚でも、鳥でも、動物でも、響き合えれば、彼らのことが分かる。分かると嬉しい。


 少年の春馬さんの主演となった映画「森の学校」は、私の敬愛する河合雅雄さんの原作だ。


 春馬さんがこの作品で、役者としての第一歩を踏み出したことは、大きな意味がある。原作、マネージャー、監督、仲間たちが、まっとうな人たちだ。


 おとなになって、まわりに春馬さんと響き合う人がいなくなっても、キヨシローとならきっと、救いがあっただろうと感じた。