ふみえの正法時代

ふみえの正法時代

現代の知識社会にあった生活道。
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質問2:ところが自分が相手に答えを与える時、正答なのか誤答なのか良くわかりません。万一この時、誤答が出たのに相手が受け入れることになれば、その後に現れる反応はどのように知ることができますか?

 

誤答であるというのは正確に自分が感じることができます。 答えでなければ相手から反応が正確に出て来ます。相手に答えにならなければならないのであって、自分の答えになってはいけないのです。

 

私はあなたたちの水準に合わせて教えてあげるのです。私が自然から習った通りに話してしまえば、あなたたちは理解できません。ですからあなたたちの水準に合わせて解いてあげるのです。あなたたちの知識の程度を知って、あなたたちの生活にどのくらい使われるのかを知っているので、そこに合わせて今、解いてあげるのです。ですからこの場に誰が来るのかによって講義が違ってくるのです。

 

相手に話すときは相手が理解できるようにするべきで、自分が知っていると言って知っていることをそのまま出せば、相手は理解できません。

 

自分に何かを聞きに来る人はこの分野に対して、自分よりもよく知らないので来るのです。知らないので来るのですから、ただあれこれしても黙って聞いているのです。聞いていたと言って、それを全て理解したと考えてはいけません。ただ聞いたのです。聞いたのと理解できて飲み込んだのとは違います。行き来する気運が違うということです。

 

ぼーっとしている相手に自分が話をしたのです。ですから全て話をしたにもかかわらず、何の反応もないのです。その時は話をしておいたのであって、相手に伝わったのではありません。そのような場合は相手もよくわからないので、あなたが話した言葉をただ聞いておいたのです。ですから反応もなくただ水が流れるようになるのです。気運が動かないということです。ですから、負担は行かないのです。

 

ところがもう少し深く対話をしたとき、相手が理解できなければ反応がタッと表れます。精密に見れば顔色も変わり顔に血管も現れたり無くなったりし、血管の色も変わってきます。顔色が青かったのが理解ができれば顔色がよくなり、瞳がキラキラ生きています。

 

しかし理解できなければ何か変になります。対話の途中に気運が回らないので、あらゆることをするようになります。神経が高ぶるので手で目を触ったり顔をかいたり、あらゆることをするのです。逆反応が来たのです。

 

話をしている時、相手がそのような反応をしたのなら、すぐに対話を中断しなければなりません。自分の気運が入らずにいるからです。

 

 

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