みなさん、こんにちは。碧沢です。
ここのとこ漢検が終わり気が抜け、DSでニュースーパーマリオブラザーズやったり、小説を読み返しています。
そして私の好きな小説の使命と魂のリミットとかも勿論読んでいるのですが、たまに重いモノを読もうじゃないか。ということで久々に、
「容疑者xの献身」
読みました。
は~重いですわ。
やっぱ。
初めて読んだときは余韻が3時間続きましたよ。
しかし、容疑者xの献身についてググってみるとですな、話を理解してないレビューがありまして。
ええ~って感じですよ。
普通理解出来るっしょっ!?ってなりましたので私、碧沢香が勝手なレビューを書かせていただきます。
無論、ネタバレなので本を読んでない方は見ない事をお勧めします。
では、長くなりそうですがお付き合い願います。
ま、これはガリレオシリーズの第三弾でして。
これくらいはご存知でしょう。わざわざ言う事も無い。
まぁ、ガリレオシリーズの主人公湯川とですね大学時代の親友、石神の頭脳戦と言いますか。
これ、映画見た方は湯川の存在感が無いとかナントカ言いますが、実質的な主人公は石神です。
次に草薙。
です。
石神は隣人の花岡靖子と娘の為にね・・・
そこのとこはスルーしましょう。
もうお分かりのはずだから。
で、花岡母娘の為にそこまで尽くす訳は数学ばかりやっている自分の存在意義があるのか。という疑問により、自殺を図る石神。
そこへ引っ越しの挨拶に来た花岡母娘。
その美しさに惚れ自殺をやめた訳で、これからは生きる希望が出来た。というわけです。
検索してみたレビューには「そんな単純な動機で自殺するか。今までの話のはなんだ。最後がそれかい」と
書かれてましたが、私は違う見解です。
石神はそこまでも純粋だったと。数学に打ちこめるほど。
その純粋さが単純な動機の元凶なのです。
そして純粋だから花岡母娘のために尽くした。
というものです。
そして、あのトリックはありか、なしかについてはあると思います。
根拠はありません。
しかしそう思うのです。
その疑問を持つ前に話自体に感動するはずです。
おそらく。
名作には読者の想像力が必要だと思います。
その余裕を残してるのが名作だと思います。
読者に想像させる。
と思います。
あまり書くともの凄く長くなるのでこの辺で止めときます。
想像力は必要です。
それが今の日本人、世界の人には少ないと思います。
相手の事を思いやる。
それは、相手の気持ちを思いやる事です。
ニュースで流れる酷い事件が増えたのは人の心に想像力と潤い、ゆとりが減ったからだと思うのです。
そのかわりに、人の欲が増えました。
欲を押さえ謙虚に生きる事が普通だったはずなのに。
今、今までの「当たり前」が崩れている。
あたりまえにひとを思う。
あたりまえに挨拶をする。
あたりまえに歩く。
あたりまえに我慢する。
それはひとりの人としてあたりまえの事です。
しかしそれが崩れている。
つまり、狂っている。
人々はようやくその「狂い」に気づきました。
未曾有の大不況により。
それは、すべて人々の邪念、欲によるものだと気づいたのです。
地球温暖化も、同じです。
発展と自由を求めるあまり、自然、地球無しでは生きていけないはずなのに欲望という狂気により自然破壊を続けたのです。
人間は哀しい生き物です。
以前の記事、「未来を知りたがる人間」でも書いたように孤独で酷い生き物なのです。
もしかしたら、もう夜明けは来ないのかもしれない。
そう思うときがあるのです。
これからは、ずっと終り無き深く暗い闇に堕ちてゆくのではないか。
人は、今が異常だというのです。
しかし、私はそう思いません。
今までが異常だったのだ。
そして今は、ようやく元に戻ったのだと。
しかし、明らかに地球は傷ついている。
異常な大地の上で常を生きる。
その中で生き残れるのか。
生き残る為に必要な事は「あたりまえ」。
全ての「あたりまえ」を取り戻す事。
それが、生き残る為の鍵。
そう思います。
「あたりまえ」の重要さに普段は気づきません。
無くして初めて知るように大切なモノほど見えないのです。
「あたりまえ」を取り戻す。
その為に必要なモノ。
それは、世界の人々の善意。それに賭けるしかありません。
では、この辺で