「大丈夫だよ」
という言葉

何度まつりに
言っただろうもやもや

靭帯断裂の手術、

組織球性肉腫の
検査、
抗がん剤、




「大丈夫だよ」

「大丈夫、、」

「大丈夫、、」


わたしが
まつりに

「大丈夫」と

言う言葉かけをする時。


まつりにとっては
全然大丈夫じゃない
時ばかりだったもやもや


そんな時

わたしが
言っていた
言葉

「大丈夫だよ」


まつりは

『大丈夫』

という言葉を

どう理解していただろう


きっと

「痛いからね」

「苦しいからね」

「我慢しなよ」


そんなふうに
理解して
いたんだと思う


「大丈夫だよ、
大丈夫だよ」って

声をかけると

怯えていたから。




それでもね。

あんなに甘えん坊の
まつりなのに



最期まで
本当に 良く
頑張った

何度思い返しても
泣いちゃいます



主治医には

「大型犬の子は我慢して
頑張る子が多い」
と言われていて


頑張る子は
病気に気づきにくい


「美々ちゃんは
そのタイプ
(頑張ってしまうタイプ)
だったけど
まつりちゃんは
その点では
分かりやすいかも
しれない」と

言われていた



まつりは
甘えん坊だから

頑張らなくて
症状に気づきやすいの?


けれど、全然
そんなことはなかった



まつりのがんは
とても分かりにくい
肋骨の間に出来ていて

組織球性肉腫の診断を
受けた時には

もう
肋骨を破壊していた

3月19日

右足の
靭帯断裂の手術

その時に

『首の後ろに
出来ているしこり』

取る手術も
同時にお願いしていた

そのしこり事態は
あまり心配して
いなかったけれど

そのしこりのすぐそばに

大きながんがあった
というのに

レントゲンにも
写っていたのに

誰も
だあーれも
気づかなかった


こんなに甘えん坊で
パピーみたいな
まつりなのに

美々に負けない位
頑張ってた

誰も気づかないまま
がんと戦って
いたなんて

言葉にならない

涙が止まらない


手術では
断裂のひざと
首のしこりの
二箇所の
組織をとって
病理検査を頼んでいた

特に必要ないと
言われていたけれど

組織球性肉腫が
心配だったから。

整形の先生も
「大丈夫だろうけど」
って言ってくれていた


何日かあと
病理の結果が出て

主治医のDr.が
ニコニコ笑顔で

「安心して下さい、
組織球性肉腫では
ありません」と

結果を報告して下さって

本当に良かったと

心の底からうれしかった


その丁度一ヶ月後
4月19日

夜勤明けで帰ると

まつりの息が荒くて
ハァハァパンティング

熱中症かな、、
慌てて病院へ。


そうではなかった

レントゲン、
エコーの検査

そして
まさかのがんの診断

え、、

大きな
手術したばかりですよ?

胸の中に
多量の水か血が
溜まっていて
心臓を圧迫している

それで苦しいんだろうと。


靭帯手術後から
この一ヶ月の間に

狂犬病注射をし

ワクチン注射をし

嫌いなノミ・ダニ薬まで
飲ませていたよ、、

なんて可愛そうなことを
しちゃったんだろう


そして
がんの診断は出たけれど
もっと詳しい検査を
するために

4日後

美々の時と同じ
高度医療センターへ。

奇跡的に予約が取れる

つい一ヶ月前
組織球性肉腫ではないと
言われて喜んでいたのに

検査の結果

まさかの
組織球性肉腫
の診断


「進行は早いでしょう」



でもあきらめない
まつり
一緒に頑張ろう!


1回目の抗がん剤
投与

美々が
ミラクルを起こして
寛解した時の様に

まつりもきっと
ミラクルを起こして
寛解すると信じていた

18日間何にも
食べれなかったのに

少しずつ
食べれるようになって

Dr.から
寛解の言葉をもらった


2回目の抗がん剤は
肝臓の数値が
高すぎて
なかなか出来ず。


そして
2回目の抗がん剤の
すぐ後に
お空へ行ってしまった

父親のお通夜の
1時間前に。

甘えん坊のまつりは
迷わずに一人で
お空に行けたのか


美々が
迎えに来てくれて
いたよね?

ママがそちらへ行くまで

もうしばらく
虹の橋のたもとで
待っていてね

まつりちゃん

ずっと。

ずっと。

あなたを
想っているよ

「大丈夫だよ」