浮かない気分を持て余しつつ、帰るのは託生の部屋。
託生がつれない態度だとしても、自宅に帰って一人で過ごすなんて無理だ。
ティムはたまには託生に素っ気なくしてみたらいいなんて言うけれど・・・。
駆け引きってやつか?
そんなことをする余裕はオレにはない。
それに、そんなまどろっこしいことをして、託生が引いてしまったらどうする?
そもそもオレは、託生を前にしたら、気のない振りなんてできないしな。
「お帰り、ギイ」
ほら、この笑顔だ。
「託生~」
素っ気なくなんてできない。
頭で考えるよりも先に身体が動いてしまうから。
目の前に託生がいたら、抱きしめたい。
「ギイ、苦しい」
「今日は随分早いな」
いつも託生は講義が終わった後、レッスン室で納得いくまでバイオリンを弾いているから、大抵オレの方が帰りは早い。
「それはバレンタインだからね」
「え?」
ああ、そうか。今日はバレンタインだよな。
すっかり気落ちしたオレは、プレゼントもチョコも用意してない。
それなのに、まさか託生の口からバレンタインだから、なんて言葉が出てくるとは思わなかった。
「早く、こっちに来て」
託生に手を引かれて部屋に入ると、テーブルの上に大きなチョコケーキ、その隣に花とキャンドルが飾られている。
「これ、託生が用意したのか?」
「うん。ケーキを買っただけなんだけど、店員さんがサービスでフラワーアレンジメントとキャンドルまでつけてくれて・・・」
そのサービス精神旺盛な店員とやらは気になるが、託生がケーキを買ってくれたなんて・・・、嬉しい、嬉しすぎる。
「オレの為に?」
「そうだよ。去年、ギイがチョコくれたでしょう?すごく嬉しかったから、今年は豪華なチョコを贈りたいって思ってたんだ」
「それでケーキなのか?」
チョコケーキの上に、赤やピンクのチョコのバラの飾りが散りばめられていて、大きなハートのプレートが真ん中に乗っている。
「うん、一応オーダーメイドっていうか、ケーキはフォンダンショコラなんだけど、飾り付けをこうしてほしいって頼んだんだ」
「託生!!」
思いっきり抱きしめたら、チョコよりも甘い、大好きな託生の香りが鼻腔を刺激する。
「だから、ギイ、苦しいって」
「嬉しい、託生!」
だって仕方ないだろう。
イベントごとに興味がないと思っていた託生が、オレの為にケーキを用意してくれたんだ。
店員相手に照れながら、こういうケーキにしたい、なんて説明したんだろう?
そんな可愛い託生の姿を見られたなんて、ちょっと引っかかるが・・・。
花やらキャンドルやらのサービスは、きっとそのせいだな。
「なんか、思ったより大きいケーキになっちゃって、ごめんね。残してもいいよ。全部食べたらお腹壊しそう」
「全部食べる!この大きさは、託生のオレへの愛だから」
「ふふふ、ありがとう。でもせめて、半分明日にするとかにしたら?本当にお腹壊すよ?」
「そうだなぁ・・・」
甘さ控えめといっても、さすがに全部食べたら胸焼けしそうだ。
「でも託生がバレンタインの準備をしてたなんて驚きだな」
「去年、ぼくはチョコ用意してなかっただろ?ギイが来るなんて知らなかったから当たり前だけど。でも、多分ギイが来るって聞いててもチョコは用意してなかったとは思うけど・・・」
そうだろうな、託生ってそういう奴だ。
「ギイがなんかがっかりしてるように見えたから」
「ええ?」
「ぼくがチョコ用意してなくて、ちょっと落ち込んだでしょう?」
「・・・・・」
「だから、今年は喜んでもらいたくてね」
少し目線を下げて、恥ずかしそうにする姿が可愛い!
滑らかな頬がほんのり桜色に染まって、ケーキよりも託生の方がよっぽど美味しそうだ。
「・・・ごめん、託生」
「なに?」
「オレ、託生はバレンタインなんて興味ないと思ってて、何も用意してない」
それに、託生の愛情も少し疑ってた。
「そんなのいいよ。ギイと一緒に過ごせるだけで十分だから。ギイの喜ぶ顔が見られて、こうやって一緒にケーキを食べて、それだけでいいから」
オレがいればいい、去年も託生はそう言ってくれたのに、託生の気持ちを疑うなんて、オレは馬鹿だなぁ。
「それに、・・・なんか、好きな人の驚く顔っていいね。ギイがサプライズに凝る気持ちが分かったよ」
なんで、こいつはこんな可愛いことを言うんだ!
「託生って、オレのこと、好きだよな?」
絶対絶対、好きだよな?
「そんなの、当たり前だろ。いちいち聞かないでよ」
ますます頬が赤く染まる。
そうだった、託生は愛情表現が控えめなだけで、ちゃんとオレのこと想ってくれてるんだ。
ほら、顔を寄せたら、小さく息を飲んでそっと瞳を閉じる。
小さな唇は、触れると柔らかくて、口腔はすごく甘い・・・。
「チョコの味がする」
「ギイだって・・・」
オレを見つめる瞳潤んでいて、赤い唇は続きを期待して薄く開いている。
・・・オレたち、気持ちは同じだよな?
「ベッド、行こうか?」
「・・・まだ夕食前だよ」
「託生、それまで我慢できる?」
耳の後ろから首筋をゆっくりと指で撫ぜると、切なげに目が細められて、唇が固く結ばれる。
本当はその可愛い口から、抱いてほしいって聞きたいんだけど・・・。
照れ屋で純情なオレの託生は、そんなことは恥ずかしくて言えないんだよな?
だから、その細い身体を抱きしめて、オレが代わりに言うんだ。
「託生、抱いていい?」
首まで赤く染めた託生が、わずかに頷く、それが託生の精一杯。
ちゃんと分かってるよ、託生。
口にできないだけで、託生もオレを愛してくれてるんだって。