記紀神話が
時代や場所をバラバラに解体し
おとぎ話や怪物の伝承に
すり替えてまで
隠蔽したかったものとは何か?
これまでの読解格子を通して
見えてくる古代史の真の姿は
以下のようになります。
1. 海神族系「4兄弟」の真実と、恐るべき裏切りの構図
記紀神話で神武東征に同行したとされる
兄たちは、イツセ・イナヒ・ミケヌ
の3人です。
この海人族系の兄たちは
熊野からヤマイチ国(邪馬台国)に
婿入りしてきた「ニニギ」と
ワタツミ(海人国の王)の姉妹
との間に生まれた、本来は4兄弟
(長男・五瀬命、次男・穂高見命、三男・稲飯命、四男・三毛入野命)
だったと考えられます。
『日本書紀』ではミケヌを
- 三男「三毛入野命」 - 本文・第一の一書。
- 二男「三毛野命」 - 第二の一書。
- 四男「稚三毛野命」 - 第三の一書。
- 四男「三毛入野命」 - 第四の一書。
としています。
これは、ヤマトの検閲官たちが
「神武の兄たちの正確な人数と系譜」
を抹消・再編しようとした際に生じた
情報の歪み(パッチワークの痕跡)
そのものです。
ミケヌは神武の兄であることから
イツセ、イナヒの他にもう一人
兄がいた可能性が高いです。
そして、記録から消された
そのもう一人の兄こそが
「穂高見命」であり
彼が司馬氏側に寝返ったことで
ウガヤフキアエズの大陸での即位と
熊楚海軍の戦術ラインは
内部から瓦解したと考えられます。
このことは、阿曇氏の記録からも
読み取れるのですが、こちらは
冒頭にも書きました通り
時間・場所・配役をバラバラに
解体してつなぎ合わせて記述されています。
たとえば
「神功皇后が新羅へ向かった際に、阿曇大浜と阿曇小浜の2人が従軍している。さらに、応神天皇期には海部が設置されたとされる。」
という記録に関して。
まず、神功皇后とは
唐(武周)の女帝・武則天の経歴・軍功を
ほぼ丸パクリして創作された
キャラクターです。
「気長足姫尊」に「神功皇后」の
漢風諡号を撰進したのは
淡海三船ですが、彼は諡号に
暗号を残すタイプの知の巨人であり
天智系皇族でありながら
吉備真備に加勢した人物です。
淡海三船は『続日本紀』の
編纂にも関わっていますが
藤原不比等が作り上げた
「天照中心の偽造神話」という
巨大な壁に対し
諡号や断片的な記述を通じて
「本当の正統はどこにあるのか」
を滑り込ませました。
彼は、武則天が697年に使用した元号
「神功」を「気長足姫尊」の
漢風諡号に撰進することで
「気長足姫尊」が武則天をモデルに
創作されたものであることを
暗号として残したと考えられます。
したがって、安曇(阿曇)氏の
神功皇后に関する記録は
「240年代〜250年代の穂高見個人の動向」
を切り貼りして偽装したものであり
「阿曇大浜→長庶兄・イツセ」と
「阿曇小浜→次庶兄・穂高見」が
従軍したのは、「神武」が
金印紫綬の特権(儀同三司)を行使し
寿春に軍事拠点(開府)を構築しに
行った際の記録を元に
創作された可能性が高いです。
これは、ヤマイチ国(邪馬台国)との
同盟が破綻した司馬懿が
ボケ老人を装って引きこもっていた
247年5月~249年の間の出来事です。
この期間に、ヤマイチ国(邪馬台国)は
曹爽一派と軍事同盟を組み
寿春の割譲を受けて開府したと考えられます。
253年末の熊野の惨劇からはじまった
司馬氏(建御雷神)と西戎秦氏(ヤマト)
による254年末までの一連のクーデターで
列島の熊楚王朝の拠点は壊滅しました。
神武の海神族系の4人の庶兄と
嫡兄・卑弥弓呼(ホデリ・海幸彦)
神武の息子・ウガヤフキアエズらは
出雲の事代主とともに大陸での最終決戦
(255年正月勃発の毌丘倹・文欽の乱における海戦)
へ出撃したと考えられます。
この時の記憶が、安曇(阿曇)氏の
「百済の王子豊璋に王位を継がせようと水軍170隻を率いて王子と共に百済に渡った。」
という記録に残されています。
これは本来
「ウガヤフキアエズを擁立するために、熊楚の海軍チームが水軍170隻を率いて魏(寿春)に渡った」
という記録の書き換えです。
『三国史記』や『旧唐書』などの
大陸・半島の正史には
「扶余豊(余豊)」という名が
そっけなく記されるのみで
このような大規模な艦隊を率いた
英雄的記述は一切存在しません。
日本側だけが具体的な水軍規模や
経緯を記す理由は
多氏(太安万侶)による
古事記の私物化です。
この壮大な記録を、あろうことか
『古事記』編纂者である太安万侶は
自分の身内(一族の娘を嫁がせた百済の豊璋)
の経歴を箔付けするために
数百年後の白村江の戦いの時代へと
「コピペ(剽窃)」して
すり替えたのです。
歴史を捏造するだけでなく
敵の偉業を自分たちの
身内のものとして横取りする。
これこそが、何度も繰り返される
多氏やヤマト政権関係者の得意技です。
安曇氏がその後「海人の宰」として
王権に組み込まれたのは、まさに
「裏切りの報酬」として
海人族支配権を与えられた結果であり
3世紀の寿春・魏遠征の軍事行動を
後世の記録(神功・応神・仁徳期)
として、投影・創作・捏造し
実録を隠蔽したと考えられます。
名前「ウガヤフキアエズ」の政治的暗号
ウガヤフキアエズは
神武(山幸彦)がワタツミの宮で
三年間の軍事留学中に娶り
出産シーンも描かれる
「トヨタマヒメ」の子であると
考えられます。
記紀で神武は45歳で東征を開始した
とされていますので
これが司馬懿との同盟が破綻した
247年からの軍事行動だったとすると
彼は202年生まれということになります。
さらに、神武は
15歳で立太子したとされますが
これは、嫡兄(卑弥弓呼・海幸彦)が
何らかの理由で廃太子された結果であり
卑弥弓呼の双子の妹・卑弥呼が
祭祀王として立った理由は
弟・神武が即位せず、ワタツミの宮へ
三年間の軍事留学をしたためだったと
考えられます。
卑弥弓呼と卑弥呼が双子である理由は
13・14回に詳しく書きましたので
そちらをご覧ください。
15~18歳の軍事留学中にできた子だと
ウガヤフキアエズは
217年~220年生まれであり
255年の毌丘倹・文欽の乱のときには
35~38歳ということになりますので
軍のシンボル・新たな王として擁立されるのに
最も脂の乗った年齢であり、これは
単なる偶然とは到底思えません。
そしてなぜ、神武の軍事留学中に
できた子だと思うのかについては
「海幸彦と山幸彦」の物語で
「山幸彦が首飾りの玉を口に含み、水甕にペッと吐き出すと、玉は甕の底にこびりついて離れなくなった。それを見たトヨタマヒメは一目惚れし、父である海神ワタツミに報告した。」
という場面の
「玉は甕の底にこびりついて離れなくなった」
が、受胎の暗喩だと思うからです。
ウガヤフキアエズの事績は
『日本書紀』『古事記』ともになく
系譜上のみの存在で
「神武の父」とされていますが
山幸彦と神武が「火火出見」という名を
共有していることから、これが
「この二人が実は同一人物である」
ということを示す暗号キーだったと
考えられます。
神話でウガヤフキアエズの名は
「産屋の屋根(鵜の羽)を葺き終える前に産まれたから」
とされていますが、これも
- 鵜(う)=楚のトーテム(水鳥・長江文明の象徴)。楚の復興を担う血統を示す。
- 葺き合えず=「完成しなかった」「間に合わなかった」。
という暗号であり
ウガヤフキアエズという名自体が
「寿春三叛・毌丘倹・文欽の乱での楚の復興が、内部の裏切り(穂高見命)によって、未完成のまま崩壊してしまった」
という最大の政治的挫折と悲劇を
そのまま個人名に刻んだと考えられます。
しかし、「ウガヤフキアエズ王朝」
という伝説が残ることから
彼は大陸での即位を断念し
高千穂に帰還後、壊滅した熊楚王朝を
立て直した可能性が高いです。
彼らが向かった、寿春での海戦
(毌丘倹・文欽の乱)
ここで、歴史を決定づける
悲劇が起きます。
次男である穂高見命
(後の安曇(阿曇)氏の祖)が
司馬氏側に捕縛され
寝返ったのです。
(こちらの経緯も安曇(阿曇)氏の記録に切り貼りされています)
穂高見命の裏切りは
事代主の不可解な伝承
(鶏の誤鳴・櫂を落とす・鰐に足を噛まれる)
の中にも隠されています。
- 「鶏の誤鳴(嘘の合図)」の真実: 古代海軍において、鶏の鳴き声や木魚・鼓の音は「出撃・帰港のシグナル(合図)」でした。 つまり「鶏が間違って早く鳴いた」とは、裏切り者である穂高見命らによって「偽の出撃シグナル」が送られ、事代主率いる主力艦隊が敵(司馬氏・呉の伏兵)の待ち受ける海域へ誘い出された(トラップに嵌められた)という軍事的失敗の暗号です。
- 「櫂を落とし、鰐に足を噛まれた」の真実: 「櫂(かい)」は船の推進力・機動力、「鰐」は海神族(あるいは司馬氏側の水軍)を意味します。 偽の合図で誘い出された事代主艦隊は、機動力(櫂)を失うほど追い詰められ、身内であったはずの海神族(鰐・裏切った穂高見命)や敵の水軍に退路を物理的に断たれ(足を噛まれ)、壊滅的な打撃を受けたという暗喩です。
これは、255年の寿春大海戦における
事代主の軍事的悲劇を
隠蔽・落としめるための隠語(コード)
だったと考えられます。
この裏切りの絶望を
ありのままに叫んだのが
四男・ミケヌ(三毛入野命)の
遺したこの言葉です。
「亦三毛入野命恨其兄曰『吾母及姨、並是海神。何為起波以溺我。』乃蹋浪穂、往常世郷矣。」
(またミケヌのみこと、そのあにをうらみていわく「我が母も伯母も海神であるのに、なぜ波を起こして我らを溺れさせようとするのか」。すなわち波の穂を踏んで、常世の郷へ去っていった。)
ここでミケヌが恨んだ
「兄」とは
他ならぬ穂高見命のことです。
標準的な解釈では
「母も姨(とよたまひめ)も海神なのに、なぜ波を起こして溺れさせようとするのか」
という海神側への恨みです。
しかし、「兄」への恨みという語
が残っていること自体が不自然であり
単なる自然現象への憤りなら
「海を恨む」で足りるはずです。
ここで彼が踏んだとされる
「浪穂(なみほ=波頭)」という言葉。
これは単なる海の波ではなく
裏切り者の兄「穂高見命」を
暗喩していたのではないでしょうか。
そして、彼らを襲った波とは
自然の嵐ではなく
司馬氏側に寝返った穂高見命の
海神艦隊が仕掛けた
「罠」だったと考えられます。
同じ海神族と楚王族の血を引く
穂高見命の裏切りにより
長男のイツセは戦死。
三男のイナヒは新羅へ
嫡兄・ホデリは列島へ
四男のミケヌは、
甥のウガヤフキアエズとともに
高千穂へと、命からがら
逃げ延びることになります。
『新撰姓氏録』には、イナヒが
新羅王の祖であると記されています。
この新羅があった場所は
かつて帥升(スサノオ)が
出雲を平定する際に援軍を調達した
同盟勢力の拠点(半島南部の伽耶周辺)です。
詳しくは、連載第四回をご覧ください。
そして、高千穂で合流した
嫡兄・ホデリと
庶弟・ミケヌの関係が
のちのクマソタケル兄弟(兄建・弟建)
の正体です。
ホデリ(海幸彦・卑弥弓呼)と
ミケヌ(御毛沼命)の父は
熊野からヤマイチ国(邪馬台国)に
婿入りしてきた「ニニギ」です。
ホデリの母は、オオヤマツミの娘の
神阿多都比売(木花之佐久夜毘売)で
ミケヌの母は、年代的に
ワタツミの姉妹だったと考えられます。
- オオヤマツミ:高千穂の山岳地帯にある、楚系王族の熊楚王朝の中央政府であるヤマイチ国(邪馬台国)の王。
- ワタツミ:「ワタ」は海の古語。百越の後裔で揚子江鰐をトーテムとする海人族の国の王。
「ツ」は上代の格助詞「の」であり
「ミ」は、標準的な語源解説の
「神霊」ではなく
「すべてを見通し、見下ろす存在」
の「見」であった可能性が高いです。
穂高見命はワタツミの「甥」ですが
彼の名を四兄弟から外し
「ワタツミの子(正統な後継者)」
として記紀神話に組み込んだのは
ヤマト政権が後裔の安曇(阿曇)氏を
「海神族のトップ」として
公認するためのプロパガンダです。
2. 黒潮が導いた撤退戦と伊豆七島「島造り」の真実
255年の激戦において
出雲の「事代主」の艦隊もまた
絶望的な状況に追い込まれていました。
『三宅記』や三嶋大社周辺の異伝では
事代主(三嶋大明神)は出雲での
国譲りの後に海に消えたのではなく
黒潮に乗って東国・伊豆へ渡り
対岸の富士の神から許可を得て
神津島・三宅島・大島をはじめとする
伊豆諸島(伝承上は十の島々)を
自ら開拓したとされます。
中央神話では
「敗れて海に消えた(あるいは鰐に足を噛まれた)神」
として処理されるのに対し
伊豆では
「東の海を切り拓いた偉大な島造りの創世神」
として、后たちや王子たちとともに
各島に厚く祀られています。
毌丘倹・文欽の乱の海戦で
味方(穂高見命=鰐)の裏切りに遭い
艦隊の推進力(足)に
致命傷を負った事代主が
なぜ出雲ではなく「伊豆」へ向かったのか。
答えは単純にして
過酷な自然の摂理
「黒潮(日本海流)」です。
- 航行不能艦隊の漂着先: 東シナ海から太平洋側へ抜けた船が推進力や操舵力を失った場合、船は世界最大級の海流である黒潮に乗って高速で東へ流されます。そして、その海流が日本列島に激突し、巨大な淀みを作る最初のポイントが「伊豆半島・伊豆諸島」です。
- 「島造り」の真実: 伝承にある「事代主が島々を造った」とは、物理的な天地創造ではなく、漂着した残存兵力(出雲の海神族たち)が、生き延びるために未開の無人島群(伊豆七島)を開拓し、新たな軍事・生活拠点(海洋要塞)をゼロから築き上げたという、血の滲むようなサバイバルと復興の記録だったのです。
「三嶋大明神」という名前のトリックと、八咫烏(賀茂氏)による簒奪
事代主が伊豆で英雄として
復活した事実を
後世のヤマト政権(勝者)は
非常に恐れたはずです。
そこで彼らが用いたのが
「八咫烏(三嶋湟咋・賀茂建角身命)の後裔による背乗り(アイデンティティの乗っ取り)」
です。
253年末の熊野の惨劇で拉致され
51歳で初代傀儡天皇にされた神武の
皇后として押し付けられたのが
八咫烏(三嶋湟咋・賀茂建角身命)の娘と
大物主葦原志許(魏の死士)の間に
できた娘・ホトタタライススキヒメです。
ヤマト(西戎秦氏)側は
事代主の偉業を消すのではなく
名前をすり替えることで
自分たちの手柄として吸収したのです。
3. 「土蜘蛛」の正体
記紀や風土記において
神武天皇や景行天皇の行く先々で
討伐されたとされる異形の原住民
「土蜘蛛」。
その真の正体は
蜘蛛のような化け物などでは
ありませんでした。
それは「壊(つち)雲(くも)」
すなわち国を壊滅させられ
港を奪われながらも
全国各地に散らばりヤマト(司馬氏の傀儡政権)
に徹底抗戦を続けた
「出雲の残党(レジスタンス)」
のことだったのです。
「雲」とは出雲の絶対的な
アイデンティティであり
ヤマト側はこれに「壊」と同音の
「土」を当て、気味の悪い
虫の漢字を被せることで
彼らを人間以下の存在へと貶めました。
全国規模での土蜘蛛討伐とは
悲劇の出雲遺民に対する
冷酷な「残党狩り」と
それを正当化するための
パフォーマンスだったのです。
なぜ「土蜘蛛」は
日本全国の山間部や沿岸部に
存在していたのか?
- 彼らこそ、出雲大社(生命維持プラント)に大国主を封印され、港(美保関)を奪われ、列島各地へと逃亡・潜伏した「壊(つち)された出雲(くも)=壊雲」の遺民・海軍残党・ゲリラ組織だったからです。
- 彼らは各地の先住民や海洋民と合流し、山岳地帯や複雑な海岸線を拠点にしてヤマト政権への徹底抗戦(レジスタンス)を続けました。
- ヤマト側が記録する「土蜘蛛討伐」とは、武力統一の美名の下に行われた「全国規模の『壊雲(出雲残党)』の徹底的な狩り出しと虐殺の記録」そのものだったのです。
この大和葛城の地は
なぜ葛城山に「土蜘蛛」の最大拠点があったのか?
それは、鴨氏が大和国葛城に
神話では
- 「葛網」の真実: 物理的な網ではなく、司馬氏の死士(鬼魅)が得意とする「毒煙・化学兵器(フツ)」を用いた罠による大量虐殺の暗号。
高千穂での合流と「クマソタケル兄弟」の誕生
葛城の拠点を失ったホデリは
ここで、神話のピースが
のちにヤマトタケル
- 兄建: 葛城の死線から生還した百戦錬磨の嫡流王、ホデリ(卑弥弓呼)=アヂスキタカヒコネ。
- 弟建: 高千穂で再建軍を指揮していた猛将、海神族系庶弟のミケヌ(三毛入野命)。
本日も、歴史の深淵を辿る
思索の旅にご一緒いただき
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