職場の子持ちの同僚の子供の話ばかりに過剰反応していた自分ですが、大分吹っ切れてきました。

子供がいるかどうかって仕事には関係ないってことに気が付きました。

子供いる人に配慮は必要だと思いますが、過剰な配慮は必要ではありません。

子育てや介護や病気で仕事を休むのはみんな与えられた権利です。

 

それなのに私は子供っていう言葉に過剰反応していたことに気がつきました。

常に自分は子供がいないからダメって思っているせいでその言葉に過剰反応しているのです。

これは周りの問題ではなく自分の考え方の問題です。

 

極端に子供がいる人がすごいって思う考え方も異常なのかもしれません。

多分その人達にとって妊娠・出産は日常生活の一部であり大変なこともあるかもしれませんが子育ての喜びもあるから子供のいない私が配慮するべきことでもありません。

 

自分は自分のことだけ考えておけばよいということに気がつきました。

よく考えたら自分も頑張っているのです。

持病も抱えながら妊活にチャレンジし2回ともダメでしたが乗り越えて働こうとしているって結果は出なかったけど頑張っているんじゃないかなって思います。

結果出た人達は社会的に認められるっていう特権はあります。

子供がいるだけで配慮してもらえることが増えます。

だからこそ結果が出なくても頑張った人達は社会的にはわかってもらえないからこそ自分を自分で労わってあげないとだめだなと思いました。

 

受験と似てます。希望の大学にすんなり入れた人、希望の大学に浪人して入れた人、希望の大学は浪人しても入れなくて諦めざるをえなかった人です。

希望の大学にすんなり入れた人はすごいと思います。でも浪人しても入れなかった人は頑張らなかったわけではないんです。

社会的に見たら希望の大学にすんなり入れた人はいい学歴が書けます。

浪人しても入れなかった人のことを心ない人は「頭が悪いんだ」とか「可哀想だ」とか言うかもしれません。

それも一時のことですが…

 

でも希望の大学に入った人がその後幸せな人生をみんな歩めるかというとそんなことはないのではないでしょうか?

学歴が良すぎるがために悩むことやぶつかることも出てくると思います。

 

浪人してもは希望の大学に入れなった人がみんな不幸になるかいうのも違うと思います。

けど、希望の大学に入れなかったことだけにずっと固執していたら真っ暗な人生になってしまうと思います。

 

人生の限られた時間を子供を持てなかったという後悔だけで過ごしていったらとてももったあないと思うようになりました。

それこそ、後々に後悔するんじゃないかなと思いました。

「なんでずっと人と自分を比べてもったあない時間を過ごしてしまったのか…?」

と思いそうです。正直こっちの方が怖いです。

 

失った時間は戻ってこないので妊活のためにやるべきことをやったら他のことを楽しんだり、苦手な掃除をしたりする方が前向きなんじゃないかと思えてきました。