友人のイタリア人シェフから、千葉のピッツェリア、ティンタテッラを紹介してもらい、早速行ってきました。

2022年12月に、日本第一号として、真のナポリピッツァ協会パーチェ会長より認定の看板を授与されたそうで、本物の本場ナポリピッツァです。

 

私はブッファリーナ、夫はサルシッチャ・エ・チポッラを頼みました。

レギュラーサイズだと、写真の通りボリューミーです。

3190円とちょっとお値段が高いのですが、このクオリティなら全然惜しくない価格です!

 

 

 

 

ブッフォリーナを食べた時、とても懐かしい味覚が蘇りました。

 

ピッツァ生地の焼き具合だけでなく、トマトの味が、イタリアのボローニャに住んでいた時によく通っていた《アモーレ》というレストランのピッツァの味にソックリなのです!

 

食べる度に懐かしくて、涙がこぼれそうでした。

 

 

アモーレは、義姉夫婦と何度も行った思い出のレストランです。

 

 

 

20年近く前の、カナダから日本に移住したある日、義姉が亡くなったとイタリアから報告が入りました。

すごく良くしてもらった大好きな義姉でした。

 

 

初めて彼女を見た時、なんて美しい人なんだろうと見惚れたものです。
オーラがキラキラ輝いていて眩しくて・・・

きっと、ビックリした目で見つめていたことだろうと思います。


男性社会に入って仕事での地位を築くために、18歳から付き合っていた彼と結婚もせず、子供を持つことも諦め、肩肘張って生きていた彼女ですが、本当は繊細過ぎるほどガラスのような脆い一面を持っているのを知っていました。

 

それでも表面上は億尾にも出さず、愚痴も吐かず、誰の力も借りない強い人でした。

 

 

彼女はその甲斐あって外資系大手企業の管理職まで上り詰めましたが、
あまりにも早い命の終わりを迎えました。

最期の最期まで決して弱音を吐かず、泣き言も言わず、
とても勇敢だった彼女に、
畏敬の思いでいっぱいです。

 

 

義姉が旅立つ2週間くらい前に、突然彼女のデッサンをしたくなり、アルバムの中から一番好きな写真を選びました。

でもデッサンにとりかかると、心がざわつきなかなか集中出来ず、途中で投げ出し・・・
あきらめて放置してしまいました。


その後イタリアの家族から彼女の悲しい知らせがあり、
その数日後、墓石につける彼女の写真を選んだという知らせを受けました。


その写真を見た時、思わず涙がボロボロ零れ落ちました。


私がデッサンをする為に選び、結局描きかけ、途中になってしまった写真だったのです。


しかも、沢山ある写真の中から選ばれたのは、私が撮った彼女の写真。
お気に入りの一枚でした。



私が子供を産んだ時、すぐに駆けつけてくれた彼女。
戸惑いながら微笑んで子供を見つめていた彼女に、


「抱っこしてあげて。」とお願いすると、

恐るおそる、まるでコワレモノでも扱うかのように、緊張しながら子供を抱っこしてくれました。
そしてニッコリ微笑んで愛情溢れた目で子供を見つめていました。


その時から、まるで自分の子供のように息子を可愛がってくれたものです。

その後も、いつでも何かあるときに助けてくれた義姉でした。