私が好きなインドの聖者の本から、心に残った文章を載せます。
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*聖者の言葉
良い思考か、悪い思考か、
それなら良い思考を選んだほうがいい、と誰もが思うでしょう。
でももしそれがすでに来て、去ってしまったら、あなたはここにないものをどうやって選ぶ事ができるのですか?
良い思考が来て、去って行った。
悪い思考が来て、去って行った。
何かが去った後は、それを選んでも意味がないでしょう。
その選択自体、
自分達に選択できると考えること自体が束縛です。
選択するという事は、心に混乱があるということです。
自分の心が明白なら選ぶ事はありません。
壁を通っていくか、ドアを通っていくか、選択の余地があると言っているようなものなのです。
自分の心がはっきりと澄んでいるなら、人生の支えになる方向や進化の方向へは、例えそれがどんな道であっても歩んでいくのです。
そのことに疑問の余地はありません。
混乱しているときは何を選ぼうとも、混乱のせいで誤った選択をしてしまいます。
言葉に左右されてしまうのです。
思考なしに意志を持つことができるでしょうか?
意志とは何でしょう?
そのようにしたいという意志を持つということは、どういうことでしょう?
運命と意志について沢山の本が書かれていますが、それは意識の中を浮遊している思考なのです。
時間と空間を少し越え、思考するマインドを超えると、過去・現在・未来、つまり時というものを全体的な視野で見る事ができます。
それは例えば大きな町のようです。
このように下に座っていると、町全体を知る事はできませんが、飛行機に乗れば町全体が見られます。
車がどこから出てきて、どこに行くか見る事ができます。
普通の道路も、高速道路も見えます。
それと同じように、高いディメンションから見ると人生の全体のビジョンが目に入るのです。そこにいると意志力とか運命などはないということが言えるのです。
あるものはある、起きることは起きるのです。
それは「存在」「精神」に大きな自由を与える事なのです。
全てを完全に信頼するか、何も信頼しないか。
どちらも同じ所に行き着きます。
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