エクス・アン・プロヴァンスでの3か月間の滞在を終え、再びイタリアに戻りました。
 

もっとエクスに滞在していたかったのですが、滞在ビザが切れたことと、やはりあの膀胱炎の身体の不調がきっかけで心細くなっていたため、迎えに来てくれた彼と彼の友人と一緒にボローニャへ移動しました。


ボローニャに滞在した事により、後々、私のイタリアに関する固定観念がかなりひっくり返された気がします。
フィレンツェから電車でたった一時間の距離なのに、
観光都市と産業都市の違いからなのか、二つの都市は全く異なっていました。


ボローニャはフィレンツェに比べると、時間や約束にルーズな部分がかなり緩和され、人々の生活はスムーズに機能しています。(あくまでもフィレンツェよりはという意味です。)


ただ、『陽気なイタリア人』という言葉が当て嵌まらないほど人々はクールで、外国からの移民が急激に増えた事への反発からなのか、外国人(有色人種)に対する冷ややかな視線を度々感じました。


アパートが見つかるまでの間、とりあえず1週間だけB&Bに泊まり、その後彼のマンマの家に泊めてもらうことになりましたが、マンマの顔が心なしか前回より険しく、距離を置かれました。


ある日、彼の友人のひとり、シモーネという美しい男の子のアパートについて行きました。
シモーネは25歳でしたが、1年程前に交通事故に遭って下半身不随となり、車椅子生活を強いられているのでした。


残念ながら、イタリアは障害者にとって住み易い国ではありません。
古い町並みを守る為の法律がネックとなり、バリアフリーの生活が送れるような環境に設備されていないのです。


シモーネ家族のアパートは5階にありましたが、そのアパートにはエレベーターが付いていませんでした。
イタリアのアパートの場合、エレベーターが設置されていなくても何も珍しい事ではありませんが、
車椅子生活の人達にとってはこれが不自由極まりなく、ほとんど外出せず家に閉じこもりっきり。


たまにどうしても用事がある時には、片側の車椅子をシモーネのお父さんが抱え、もう片側をお母さん、もしくは妹が抱え、5階の階段を登ったり降りたりしなくてはいけません。(その後1階のアパートを見つけ引越ししました。)

スーツケースのキャスター部分でさえ引っかかってスムーズに動かせない石畳の道路は、車椅子を使うのにも適していません。


ある時シモーネが1人で銀行に行くと、
車椅子で足が悪いのを装って入る強盗だと間違われ、警備員がすぐに近寄り、追い出されたと言っていました。



彼は度々シモーネを訪れ、足を擦ってあげていましたので、

以前気功のクラスを取った事のある私は、手を当ててヒーリングのお手伝いをしようと思いました。


私の手からのエネルギーを敏感に感じ取るとシモーネは言い、

その日以来、「一緒に来てヒーリングをして欲しい。」とお願いされました。


使わない脚は痩せ衰え、太陽の日差しをあまり浴びないせいか、顔が透き通るように蒼白いシモーネにヒーリングを施すと、エネルギーを受け、頬が少し紅潮します。


カナダではバリアフリーの施設が沢山存在し、車椅子の人々が道行くのを頻繁に見かけました。


何時の日かイタリアもバリアフリーになり、アパートにもエレベーターが設置され、こういう障害者の人達が暮らしやすい日が訪れるのでしょうか?