ニューヨークで特に好きだったのが、ストリートパフォーマーでした。
有名になるために、世界各国から強者のアーティストが集まってくる街だけあり、才能を持っている方々がそこら中にいました。

自分の才能を知ってもらうため、手頃に披露できるストリートパフォーマーから入るのかもしれません。


通りがかりの道端、地下鉄構内、公園内など、ありとあらゆる所に彼らは陣取っていましたので、私も足を止め、その演奏や歌に聞き入っていました。


たまにプロ顔負けの実力派もいて、彼らの演奏に惹きこまれ、足が一歩も進まなくなり、約束の時間に遅れてしまいそうなことも何度かあったほどです。



さて、私のように節約生活を送っていたものにとっては、市内バスや地下鉄は、足代わりとして重要な交通手段のひとつでした。

夕方からレストランのバイトに出かけると、終わるのは22時、23時でしたので、とりあえず最低限氣をつけながら、毎日地下鉄を使って帰宅していました。


昼間使用する分にはそこまで問題はなかったのですが、夜になると雰囲気が一変し、女性客がぐっと減るのでした。

どの地下鉄にも意味もない汚い落書きが為されていて、どうせ落書きするなら、美しいアート風にすればいいのにと思ったものです。



私は必要もないのに常に折り畳み式ではない柄の長い傘を持ち歩き、意味もなく地下鉄構内で振り、頭がおかしい人のフリをして、人を近づけさせないようにしていました。

 

これも自己防御作戦のひとつです。


スニーカーを履き、男の子に見えるように大股で速歩きをしていました。


そのため大抵無事に帰宅できたのですが、一度だけ、地下鉄内で変な男に絡まれた事があります。

 


完全に無視してもかなりしつこかったため、さすがに危機感を覚えた時、

同車両にいた周囲の男性達が助けてくれ、その男を無理矢理ホームに振り降ろしてくれたのでした。


明日は我が身のニューヨークで、自分の危険も顧みず助けてくれた人達・・・
 

 

ニューヨーカーもなかなか捨てたもんじゃありません。

 

 

 

 

 当時の地下鉄の入り口です。

薄暗くて汚かった。