初めて暮らした外国はベルギーのブリュッセルです。
ベルギーがどこにあるのか、どの言語を話しているのか、全く分からない状態でこの国に向かいました。


学生時代に学校に置いてあった英字新聞を読んでいた所、広告欄に『オーペア募集。外国人家庭に入って英語を習いましょう!』という文字を発見しました。

その当時地元愛知に住んでいた私は、迷う事なくその記事に応募し、東京まで面接に行きました。

 

 

エージェントに5万円支払うと日本に住む外国人家庭を紹介してくれるというものです。

実に怪しい・・・


 

でも面接に向かったのは、なんと、イタリア大使館。

 

「ベルギーに転勤になる予定だけど、着いてこれますか?」

 

お父さんはイタリア人、お母さんはハーフで、英語を話す家庭でした。


飛行機代もその家庭が払ってくれ、住む家も提供してくれる。
ビザは数年間その家庭だけで滞在できる、外交官用の特別優遇のものを手配してくれるとのこと。

 

私は両親の承諾も得ないまま、「はい、大丈夫です。」と即答していました。

これが私が外国に行ける唯一の手段だと思ったからです。

 

そして他にも面接を受けた日本人の方々がいらしたようですが、なんと私が受かってしまいました。



仕事の契約期間は2年間。
オーペアはヨーロッパの若者の間ではよく知られていますが、『外国語を習得する目的で外国人家庭に入り、家事・育児を手伝う代わりに、住居と食事を与えてもらえるシステム』です。
家庭によって金額は違いますが報酬も支払われます。

決定してから両親に事情を話した所、私が相談もせずに勝手に決めてしまった事に対して怒られました。

ただ、常日頃から、「海外に行くなら自分の力で行け!」と言っていた父は、自力で行くことに反対はしませんでした。

 


実は契約を結んだ半年後、父が病気で他界しています。
契約を結んでいる以上ベルギー行きは続行しましたが、波乱を含んだ出発となりました。

受け入れ先の家族は家探しをすると言い1 ヶ月ほど前に出発していたため、私1人での出国となりましたが、
オーペア家庭の配慮でビジネスクラスのチケットを取ってもらいました。


ただ南回りだったため、上海とデリーで数時間停止し、ローマで1回乗換えという、合計約30時間の初フライトとなり、

長い長い旅となったのです。


その当時私は20代。
全財産である貯金は12万円のみ。

 

まだ携帯、インターネットやラインもない時代に、
現金12万円とスーツケース1つを持って、見知らぬ国ベルギーへと旅立ちました。

 

 

 

不安よりもワクワク感で一杯でした。

多分、父と仲が悪く早く親から自立したかったこと、そして好奇心が人一倍旺盛だったからだと思います。