一番最初に住んだのはベルギーのブリュッセルですが、2年間の契約終了後、更新するつもりはないかと聞かれましたが、断りました。
海外に住むという目的は果たしたため、次に挑戦したいことを実行に移すつもりでした。
ベルギーに滞在中、働きながら語学学校に週2日通っていましたが、その間に(日本円に換算して)50万円貯金をしたため、
日本には帰らず、そのお金を持って今度はニューヨークへ単身で向かうことにしました。
ニューヨークに知り合いは居なかったのですが、宮本美智子さんの《アメリカ嫌いだった父へ》という本を読み、体験談がとても面白く、どうしてもNYという街に行ってみたくなったのです。
とりあえず行けば何とかなるだろうなんていう軽い気持ちでした。
語学学校や住む場所は決めていきましたが、いざアメリカ大使館に語学ビザを申請しにいくと、
「若い女の子が単身でいくのは怪しい。(当時20代で独身)」と却下されました。
どうやら不法滞在で仕事をし、そのまま住み着いてしまうと思われたようです。
家に帰り却下された旨を伝えると、当時領事館の領事だったオーペアのお父さんが、アメリカ大使に直接電話をし、話をつけてくれ、最終的に5年間のスタディービザを取得できました。
語学学校の傍ら週20時間はバイトも出来ます。
たった一人でNYに着き、J.Fケネディ空港でつかまえたタクシー運転手は黒人の男性でした。
降りる際に、
「何か困ったことがあったらTEL して。」
と電話番号の書かれた紙切れを渡してきました。
でもどうやら途中遠回りをしたようです。
外国人客を対象に、メーターを上げる為によく使う手段なのです。
疲れと軽い疲労感から、文句を言う気力も失せていました。
私が住んでいた頃のニューヨークは、元NY市長のジュリアーニ氏が改善した綺麗なNYとは全く違っていました。
当時はかなり危険な風貌でした。
ホームレスがセントラル駅の裏口構内付近に列を成して寝転んでいて、そこに足を踏み入れると、体臭やアンモニア臭が入り混じった悪臭が漂っていたものです。
地下鉄は落書きだらけで、やはりどことなく異臭がし、夜になるとぐっと乗客が減少します。
女性も見かけません。
地下鉄内で犯されたという事件もよく聞きました。
ハーレム、一部のブロンクス、ブルックリンはかなり気をつけて歩かないといけなく、
その他の地域も昼間ならまだいいのですが、夜は常に周囲に気を配りながら歩行するようにしていました。
そこら中でニュースにはあがらない事件が起こっていたものです。
多すぎて載せられないからです。