
「血の繋がり」という言葉を聞くと、
ふと《家族》って何だろう・・・と思う事があります。
血縁だから家族の絆が深い。
血の繋がりがないから養子をもらうのを躊躇う。
血の繋がりがないから家族ではない。
こういう言葉を聞くたび疑問に思っていました。
確かに自分と血の繋がりのある子供だからこそ可愛いというのはありますが、
たとえ血の繋がりがなくても家族には成りえます。
もともと夫婦は赤の他人同士がくっつくものであり、
夫婦間には血の繋がりはありません。
別れてしまえば赤の他人です。
でも赤の他人同士の夫婦に子供が産まれる事で血の繋がりはできます。
では、子供を産まなければ家族ではないのでしょうか?
私は違うと思います。
子供がいなくても、血の繋がりはなくても、家族には成り得ます。
血の繋がりってなんなんでしょう?
家族ってなんでしょうか?
男女間で結婚しない二人でも、
同性婚でも、
養子縁組でも、
全くの他人同士でも、
《家族》だと思えば家族です。
縁あって飼ったペット達も家族です。
訳あって産みの親と離れ、血の繋がりのない親に育てられたとしても、やはり家族という絆が生まれます。
Youtubeショートで流れてきた、ある特攻隊員の青年の最期の手紙にこう書かれていました。
6歳の時に母を失い、7歳から継母に育てられた彼は、
特攻で最期に出撃する際に、家族にあてた遺書にこう書かれてありました。
『7歳の時より育ててくださった母。慈しみ育てくださった母、長い間本当にありがとうございました。
『お母さん』と、幾度となり思い切って呼ぼうとしたが、とうとう最後まで呼ぶことが出来ませんでした。
何と意志薄弱な俺だったか。
さぞ淋しかったことでしょう。
今なら大声で呼ばせてもらいます。
『お母さん、お母さん。』
血が繋がっていなくても、愛情深く育ててくれた継母のことを最期に想う息子。
夫のイタリアに住むイタリア人の友人夫婦が、アフリカから子供を養子にもらって大事に育てています。
子供が出来なかったため養子縁組したのですが、なぜか自分達に似ているイタリア人の子供ではなく、親のいないアフリカ人の兄弟2人を引き取りました。
カナダでも、白人夫妻が自分達とは全く異なる外観を持つ東洋人の子供を育てていました。
相田みつをさんが残した詩
「自分の番 いのちのバトン」というものがあります。
《父と母で2人、父と母の両親で4人、そのまた両親で8人、10代前で1024人、20代前では100万人、
そのはるか前から、過去無量の命が受けつがれてきた。》
一人一人がそれぞれこれだけの先祖を持っているということは、
数十世代でどれだけ交わっていくのか...
過去を辿っていくと、皆、どこかで誰かと繋がっているのかもしれませんね。