『幸せになる方法』なんて自己啓発セミナーやスピリチュアルが好きそうな物凄く香ばしい香りの漂うタイトルですね。

→『そんなものはねぇ!』 とストロングスタイルでぶった切るのもなかなか漢気を感じて良いかなとも思ったのですが、私もいい大人なのでタイトルと整合性のある内容にしようと思います。

 

幸せの定義って何かと言うとこれは個人が運用的にしていくしかないような、、、なかなか難しい問題に思えます。

欲しいものを何でも手に入れること?

セロトニンやらドーパミンやらエンドルフィンやら脳内物質のちゃんぽんで『あー幸せっ!』体感のことをいうのか?

それとも自由な時間が増えるとウェルビーイングが向上!みたいなことなのか?

なのでここでは一旦『幸せなんて存在しねぇ!』とします。

物理的な豊かさであれ脳内状態であれちょっと抽象的な概念であれ空でしょ!ってそれはそうなんですが、ここではそういう当たり前のことをのたまうつもりではなく、冒頭の漢気スタイルでもありません。

 

一旦そうやって仮定することで話を先に進めようという意図ですので、空観でなくても『幸せなんて存在しねぇ!』との主張を一旦受け入れてくださいということです。(この記事のラスト何行かまででいいので)

 

さて、そんな『幸せのない』荒涼とした世界で、あなたが希望も予定も無くぷーらぷら歩いていると道で知らないおばあさんが困っていました。どうやらおばあさんはコロナで寝込んでしまった一人暮らしをしている孫に支援物資を届けに行く途中で、このあたりでお財布を落としてしまったようです。そしたらあなたは(もしかしたらちょっとめんどくさいなぁとか頭をよぎるかもしれませんが)ほとんど反射的におばあさんと一緒に財布を探し始めるでしょう。

別に想像力を働かせておばあさんがお金持ちで後でお礼を貰えることを期待するでもなく、おばあさんの孫があなたのタイプど真ん中な異性で【そこから始まる何か】を期待したりもせず、たまたま見ていた知人から後で『あいつは偉いっ!』と褒められることなど考えもしません。何故ならあなたがその時にいるのは幸せのない世界だからです。そんななんやかんやで得られるモノなんて何もないからです。

じゃあなんで助けるのかというと、ごく普通に『しょうがないなぁ』とか『困ったときはお互い様だからなぁ』みたいな感覚で『良いことをしよう』というものですらないと思います。

そして道路横の排水溝の溝に落ちた財布を見つけたあなたは、財布を拾い上げ、ハンカチかなんかで泥を軽く拭いておばあさんに渡しますね。安堵し喜びの中のおばあさんは『ありがとうございます、何かお礼をさせてください』と言うかもしれませんし、言わないパターンかもしれません。

さて『せめてお名前を』というおばあさんにさわやかな会釈を向けつつ『孫ちゃんとこ早く行ってやんなっ!』と立ち去るあなたは何かを得たでしょうか。(ハンカチについた分の泥とかは増えたのかもしれませんが)何もないはずです。

 

でもきっとその時あなたの心にはさわやかな風が吹いているはず。

おばあさんを助けることが出来たこと、そしておばあさんの支援で元気に回復した見ず知らずの孫の姿を想像したりするかもしれません、ふと思うと自分もいつか名前も知らない誰かから気が付かないうちに助けられてきたのだろうな、、、世の中お互い様だよな~なんて思う時、あなたは自分が笑顔を浮かべていることに気が付きます。そう幸せの存在しないはずの世界であなたはなぜか幸せを感じていました。~fin~

 

関係が関係を生む、そんな関わり合いの中で全ての存在は変化し続ける状態としてあります。そして誰かの起こした行いの影響がまた関係を通して波及していく、互いが互いの存在を成り立たせ合う宇宙で全ての存在を全力で肯定し双方向的な機能を自分と宇宙に持たせる。

 

それが幸せになる方法です。