食事を黙って食べる人と会話やほかのことをしながら食べる人がいます。

 

私は20代のまでは『ながら食べ』でしたが、

気功を始めた30代からは無言で食べるようになりました。

 

確かにながら食べが機能する場面はあると思います。

 

親しい人と一緒に食事をとることでラポールが強まります。

 

日中忙しい家族が食事の時間にだんらんを取る姿は微笑ましくもあります。

 

 

一方食事を黙って食べるメリットもあります。

 

①食事の量や内容に気を使えるので健康を維持できる

②食事の時間を瞑想にすることが出来る

③他の生命現象に敬意を払うことが出来る

などは食事に集中する利点に思えます。

 

?と思った方に一つ一つ解説します。

まず①食事は生命活動にとって重要な仕事です。

マルチタスクで食べると無意識に食べ過ぎてしまうようです。

 

ソファーで動画を見ながらポテトチップスを食べる肥満体の男は、

海外の映画でステレオタイプ的に見かけますが、

映画監督の方は流石に観察されていると感心します。

 

なにをどのくらいどんな風に食べるかというのは、短期的(その日や翌日)のパフォーマンスだけではなく、

積み重ねで数年後の健康状態やキャリア・人格・人間関係にも影響を及ぼします。

人生を左右するような重要な仕事に取り掛かる時、集中して臨みたいと考える人は多いと思います。

もしも食事を重要な活動の一つとして捉えるなら、食べ方については一度以上考えてみるのは一つの契機になるのではないでしょうか。
 

②シングルタスクで食事をすることで、その脳の余剰分の力をより良い方向に生かせます。ここでは関係ないことは考えずに、その日の体調や食事の成り立ちなど目の前にある食事に関連することを考えることをおススメいたします。

 

・短期・中期・長期的な視点でどのような順番でどのくらいの量を食べるのが適切か

このようなことはもちろん考えた上でさらに色々思考スペースに余裕があるはずです。

 

・今食べている豚肉は私の体の中で血肉になりどのような役に立つのか

・目の前の皿の上の食事はどのような工程でどんな思いで調理されて目の前に来たのか

一つのテーマを決めた上で思索をするのは、瞑想です。

食事中は副交感神経も優位になりリラックスできるので瞑想には最適な時間と言えます。

また食事という日常のことを瞑想フレームで捉えることは、生活すべてを瞑想化するトレーニングとして入りやすいものです。

 

③②の思索を続けていくとある事実に向き合わざるを得ません。

それは我々は間接的に他の生命を殺しているということです。

動物でも植物でも誰かが殺した生物を口にして生命活動を維持しています。

他の生き物を食い物にしています。それは致し方ないことです。

しかし必要で食い物にするのならせめて最低限の敬意は払うべきではないでしょうか。

 

変な話で例えますと、Hしている時に他の異性のこと考えるのは失礼というか、無礼だと思います。(スワッピングとかそういう趣味の人は別として)

他の生命を尊重する意識を持つことは自身のエフィカシー向上に無関係ではないと感じております。