苫米地博士の昔の書籍のトレーニングに最近はまってます。

本を購入した当時は途中で諦めた奴ですw



『5つのバランスウィルのゴールを同時に考える』とか

『嬉しいを強化しておでこに貼り付ける』とか5年前はちんぷんかんぷんでしたが、

久々に挑戦してみたら手応えが感じられるようになってました。


ここ数年の気功で概念操作の基礎となる力が鍛えられたのだなと誇らしい気持ちを感じたのは束の間

(自宅の本棚に並んでいて何度も目を通していた本なのに)新たに現れた広大な世界に日々驚きと発見があります。


さらっと衝撃的内容や真髄みたいなことを提示されていても

受け手に準備が出来ていないとそれなりの理解に留まるんですよね。

当たり前ですけど、、、。

さりとて



『奥義から学ぶ』というのがやはりいいのではないかと思います。

(いや、『俺は奥義掴んだぜ!』なんて大口叩くつもりはさらっさらないです)

というのは奥義と呼ばれるようなものは偉大な先人たちが


貴重な血と汗と涙と

努力根性義理人情

友情努力勝利的な、、、あるいはさらに先人達から受け継がれた知恵、大量のドーパミン、貴重な生命時間と費やして出来た。

ものすげー知恵が背景にあるけど、洗練した形でぎゅっと濃縮されているため一見さらっとシンプルななわけです。

(結構重要な予断ですが本当に成長したいなら、先生を選ぶことが大事です。『これが(現段階での)奥義だ!』的な感じで早い段階から明示するというのは良い指導者の特徴の一つだと思います。)


ただスルメイカのように噛めば噛むほど奥深い味が出てくるのが奥義です。

受け取り側が成長することで新しい解釈が生まれるというところはちょっと推理小説で真犯人やトリックがわかった後に伏線の確認として読む2読目に似ている感じもします。

(よく出来た推理小説でもロジックを楽しんで読めるのは2読目くらいまでだと思います。)

っつうわけで何らかの理由でその『抽象度』にアクセス出来る人だけがその真の旨みを味わえるわけです。


例えば釈迦の教えとされる『縁起』なんて超ハイパー奥深い教えでしょう。

この言葉、噛めば噛むほど味が出てくるスルメイカのようです。

日本人であれば『縁起がいい』『縁起物』なんてかなり使う単語です。

本来の意味とはかけ離れてます。

かけ離れていながら言葉が独り歩きしているのは潜在的なエネルギーを無意識に感じ取れているのかなとそんなふうに思ってしまいます。

『E=mc』とかなんかTシャツのデザインとかにしてもcoolな感じがしますよね.

もちろんたまに外人が『働いたら負け』とかヘンな日本語のTシャツを着ている事もあるので、情報場の価値の見分け方は難しさがあるとは思いますが。

見分け方のコツとしてある程度のスパンの時間を超えて伝えられているかはひとつの指標になります。

『縁起』なんて2500年も人類が飽きずにしゃぶり続けているスルメイカです。

どんだけ!!!






次回に続く