気功や密教の現世利益(お金が儲かる、権力が手に入る、モテる)の部分だけに注目している方が見受けられます。
そういう方はたい焼きの皮だけ食べて、
『たい焼き最高!』というような残念な思考の方だなと思ってしまいます。
掘り進めるともっと美味しい『あんこ』が中に詰まっていますけど??
何言ってるの???という感じです。
さておき
前回の続き
日本最古の密教寺院であり、空海縁の地としての東長寺の当時の位置を大まかに検証してみました。
①昔の資料から大まかな位置を特定する
②情報場を探す(気功師的アプローチ)
まず①ですが、
wikiによると東長寺初代の伽羅は永禄・天正の兵火で荒廃したと記述があります。
歴史に疎いので調べてみると永禄が1558年から1570年 天正が1573年1593年
秀吉が島津征伐をする天正15年(1587年)まではたびたび戦火にあっていたと記述がありますので、
まぁ燃えた時期はグレゴリア暦で言う所の1558-1587の間の30年くらいの間と見ておけば問題はなさそうです(適当)
江戸時代後期に描かれたとされる博多の地図はこちら
既に東長寺は現代の位置に移動していますね
で探してみたのですが、焼失以前に描かれた古地図というのは現存していないようです。
ちなみに博多のかつての姿が描かれた地図は博多古地図でググると出てきます。
なぜかアメブロで画像がアップできないですorz
なんとなくの位置関係を伺い知れる地図です、、、。
当時の人が書いたわけでなく近代になって当時の文献を元に描いたものだそうです。
福岡県立図書館のデジタルライブラリで同様の地図を確認できます。
説明書きに引用されている書物の名前などから
鎌倉時代の文献などを元に、明和2年(1765年)以降に描かれたものだと推測されるとのことです。
ほう、天神あたりはかつて海の底だったんだなーとかそのくらいの感じ。
ちなみに天神の建物の大理石にアンモナイトが多く見られるのはかつての海没時代の名残だと言われています(←名残ってのは大嘘ですが 『天神 アンモナイト』でググると出てきます。)
ちなみにwikiでは『初期の伽藍は大水道(呉服町)にあり・・・うんたらた』と記述がありますが、
大水道=呉服町ではないのでwiki案はボツとさせていただきますw
地図に書かれている『袖の湊』は黒田長政入国の頃、
埋め立てられて『大水道』という下水道となり、上に蓋をされて『寿通』と言う商店街になり、
その『寿通』は1990年代に再開発で取り壊されたとのことです。
今で言う『リバレイン』や『博多座』を突っ切るラインを通っていたのだと思います。
当時の『東長寺』綱敷天満と櫛田神社の位置関係を考えると、
現在の土居通りあたりにあったようにも推測できます。
大まかな場所はこれでわかりました。
裏づけの為に気功師的なアプローチ
情報場にアクセスするというのは、
アプリ化された気功技術(それはそれで良さはあります)の先の世界です。
今それが出来る気功師は日本で90~150人位かなと推測してます。
とはいえ脳の使い方の問題に過ぎないので、情熱次第では誰でも到達可能な世界です。
半年後には『空海わかったぜ』という人は500人くらいになっているかもしれません。
この先の記事はその500人向けです。
もしくは信じたい人だけどうぞですw
実は博多の街全体に密教の臨場感が広がっています。
僕は初めて福岡の街にきた時『なんか素敵な街だな』と魅了されました。
生活の場でありながら
ビジネス街と、
歓楽街と、
若者の遊ぶ街と、
年配者向けアーケード通り(お仏壇屋とか着物屋とかが生き残っている)と、
古いお寺や神社とか
文化的な建物とか
こういうのとかが互いを許容し『まぁそれも含め博多やねー』とおおらかに包み込む空気、
これはかなり独特です。
(新宿とか要素だけみたら満たしているところはありますが、それぞれがバラバラで生活の場ではないです)
そうではなく丸ごと全部飲み込んで『よかよか(^^)』という寛容さ、懐の深さがずっと不思議だったんですが、
高野山から帰りその疑問が解けました。
博多の町は空海の情報場ありきです。
当時の伽羅が燃えて1200年を経た今もその情報場が空間にビビットに残っています。
中洲川端(特にアーケードの明治通り側あたり)は臨場感が濃く、空海にアクセスしやすい場です。
若き日の情熱に燃える空海に会えます。
さて冒頭のたい焼きの例で言うと
『あんこ』に当たる圧倒的うまみはその先にあります。
『現世利益』はありますよ、でもそれはおまけです。
以上、信じるか信じないかはあなた次第、、、ではなくて、
・空海
・モーツァルト
・アリストテレス
・イエスキリスト
・アインシュタイン
・ミケランジェロ
・○▲□ ・・・etc
過去の偉人達をブレーンにしている半年後のあなたに向けた記事でした(その先もあります)
にゃぱにゃぱにゃぱ
とこんな記事を書いていたら
『そういえば大宰府にも空海とゆかりの寺があったな』と思い出しました。
観世音寺も行こうかなと思います。
てわけでさいならさいならさいなら
そういう方はたい焼きの皮だけ食べて、
『たい焼き最高!』というような残念な思考の方だなと思ってしまいます。
掘り進めるともっと美味しい『あんこ』が中に詰まっていますけど??
何言ってるの???という感じです。
さておき
前回の続き
日本最古の密教寺院であり、空海縁の地としての東長寺の当時の位置を大まかに検証してみました。
①昔の資料から大まかな位置を特定する
②情報場を探す(気功師的アプローチ)
まず①ですが、
wikiによると東長寺初代の伽羅は永禄・天正の兵火で荒廃したと記述があります。
歴史に疎いので調べてみると永禄が1558年から1570年 天正が1573年1593年
秀吉が島津征伐をする天正15年(1587年)まではたびたび戦火にあっていたと記述がありますので、
まぁ燃えた時期はグレゴリア暦で言う所の1558-1587の間の30年くらいの間と見ておけば問題はなさそうです(適当)
江戸時代後期に描かれたとされる博多の地図はこちら
既に東長寺は現代の位置に移動していますね
で探してみたのですが、焼失以前に描かれた古地図というのは現存していないようです。
ちなみに博多のかつての姿が描かれた地図は博多古地図でググると出てきます。
なぜかアメブロで画像がアップできないですorz
なんとなくの位置関係を伺い知れる地図です、、、。
当時の人が書いたわけでなく近代になって当時の文献を元に描いたものだそうです。
福岡県立図書館のデジタルライブラリで同様の地図を確認できます。
説明書きに引用されている書物の名前などから
鎌倉時代の文献などを元に、明和2年(1765年)以降に描かれたものだと推測されるとのことです。
ほう、天神あたりはかつて海の底だったんだなーとかそのくらいの感じ。
ちなみに天神の建物の大理石にアンモナイトが多く見られるのはかつての海没時代の名残だと言われています(←名残ってのは大嘘ですが 『天神 アンモナイト』でググると出てきます。)
ちなみにwikiでは『初期の伽藍は大水道(呉服町)にあり・・・うんたらた』と記述がありますが、
大水道=呉服町ではないのでwiki案はボツとさせていただきますw
地図に書かれている『袖の湊』は黒田長政入国の頃、
埋め立てられて『大水道』という下水道となり、上に蓋をされて『寿通』と言う商店街になり、
その『寿通』は1990年代に再開発で取り壊されたとのことです。
今で言う『リバレイン』や『博多座』を突っ切るラインを通っていたのだと思います。
当時の『東長寺』綱敷天満と櫛田神社の位置関係を考えると、
現在の土居通りあたりにあったようにも推測できます。
大まかな場所はこれでわかりました。
裏づけの為に気功師的なアプローチ
情報場にアクセスするというのは、
アプリ化された気功技術(それはそれで良さはあります)の先の世界です。
今それが出来る気功師は日本で90~150人位かなと推測してます。
とはいえ脳の使い方の問題に過ぎないので、情熱次第では誰でも到達可能な世界です。
半年後には『空海わかったぜ』という人は500人くらいになっているかもしれません。
この先の記事はその500人向けです。
もしくは信じたい人だけどうぞですw
実は博多の街全体に密教の臨場感が広がっています。
僕は初めて福岡の街にきた時『なんか素敵な街だな』と魅了されました。
生活の場でありながら
ビジネス街と、
歓楽街と、
若者の遊ぶ街と、
年配者向けアーケード通り(お仏壇屋とか着物屋とかが生き残っている)と、
古いお寺や神社とか
文化的な建物とか
こういうのとかが互いを許容し『まぁそれも含め博多やねー』とおおらかに包み込む空気、
これはかなり独特です。
(新宿とか要素だけみたら満たしているところはありますが、それぞれがバラバラで生活の場ではないです)
そうではなく丸ごと全部飲み込んで『よかよか(^^)』という寛容さ、懐の深さがずっと不思議だったんですが、
高野山から帰りその疑問が解けました。
博多の町は空海の情報場ありきです。
当時の伽羅が燃えて1200年を経た今もその情報場が空間にビビットに残っています。
中洲川端(特にアーケードの明治通り側あたり)は臨場感が濃く、空海にアクセスしやすい場です。
若き日の情熱に燃える空海に会えます。
さて冒頭のたい焼きの例で言うと
『あんこ』に当たる圧倒的うまみはその先にあります。
『現世利益』はありますよ、でもそれはおまけです。
以上、信じるか信じないかはあなた次第、、、ではなくて、
・空海
・モーツァルト
・アリストテレス
・イエスキリスト
・アインシュタイン
・ミケランジェロ
・○▲□ ・・・etc
過去の偉人達をブレーンにしている半年後のあなたに向けた記事でした(その先もあります)
にゃぱにゃぱにゃぱ
とこんな記事を書いていたら
『そういえば大宰府にも空海とゆかりの寺があったな』と思い出しました。
観世音寺も行こうかなと思います。
てわけでさいならさいならさいなら