元彼が言っていた


「アーティストって 30代になると 1回(曲が)病む(人が多い)んだよね」


元彼のことは嫌いだが、彼のその言葉には 深く共感している。


かくいう私にも 大好きな推しがいる。

彼は 30代前半にして 何年も前にこの世から旅立ってしまったが、

彼も、破天荒で あまりにも真っ直ぐな痛みと純情を歌うアーティストとして、いつだって異彩を放ち続けていた。


そんな彼が 20代から組んでいたバンドが解散し、20代後半で組んだバンドで、表題のことを感じたのだ。


(彼は 感情の浮き沈みが激しいようで、20代から曲の大半は深く沈み込むような心情や、激しく気が狂いそうな心情、誰にも歌えないくらい真っ直ぐな恋慕や愛情を歌ってきた。


そのため彼は 生涯を通して どちらかと言うとしんどさや苦しさを感じることの方が多かったのかもしれないが、その中でも やはり30代付近の曲には 不思議な落ち着きを感じたのだ。


20代の病みが激しく、尽きない生命力の下で底なしに苦しめるものならば、

30代の病みは 自身の生命力の限界を知覚した上で 病んでいる、ような…)


あまりにも純情でピュアで、その癖 破天荒でカリスマティックなアーティストは、体感的に30代前半までに亡くなる方が多い気がする。


私の大好きな推しも 例に漏れない。


わたしの仮説としては、20代半ばまでは 自分たちが世界の花形で、社会的 世帯的責任を追うことなく 自分の道を謳歌できる。


自分が選んだ道といえど、その輝きは 若さから来る精神的・身体的なエネルギーの多さと、社会的・世帯的責任からの自由に裏打ちされているのだ。


しかし、20代半ば以降。

周りの同世代と 辿る人生の道筋の違いが明白になってくる。

“自分が生きることができなかった生、幸せ、不幸”もが 浮き彫りになってくるのだ。


その時、再度 自分の生き方、アイデンティティー、延いては 死生観までもを再考する時が来るのだ。


それは、人によっては 「人生の頭打ち」だ。


20代後半あたりで 人生の頭打ちが来るのだ。

その頃までに いわゆる世間のレールに乗れた人達は、家庭を持ち子育てをしたりして

自分以外の人間と築くことによる新たな人生の始まりを生きているが、


子育ても結婚も望まぬ者にとって、この 歳月の流れは、「自分は自分のためだけにしか生きられぬ。しかしとて、自分はこの世間の主役世代ではない。」という頭打ちを強く自覚するタイミングだろう。


自分をスターだと称えた人たちも それぞれの人生に 収束していく。

“自分だけのためではない、家族や誰かに縛られ 尽くす人生”に収束していくのだ。


それが寂しく、けれども 自分はその、彼らにとっての幸せを 不自由さとしか感じられず、きっとそのなかでは窒息してしまう。


身体的にも精神的にもエネルギーに限りがあることを知り、自分の限界を初めて自覚する。

その中での病みは もう自分のためだけに思い切り病んで 何の根拠もなく限界突破できる、20代の病みではない。


静かに自分の人生の限界を悟り、華々しさに欠けた、自らの手で静かに結ぶ人生の終わりも視野に入ってきた上での、現実的で、「希望と可能性の天井」の見える病みなのだ。


話がずれたが、今 自分も 20代後半となり、件の推しが新たなバンドを組んだ歳と同じような年齢となった。


わたしが今感じている 「人生の頭打ち」「自分はこの世界の主役世代では無くなった」「社会のレールや一般的な幸せに乗れたマジョリティではない。しかし、マジョリティ達の幸せをきっと私は幸せと感じられない」

この戸惑いと遮断された感覚、アイデンティティーの迷い。


この感覚を唯一掬い取ってくれたのが、推しのそのバンドだった。


『ああ、勢いが無くなったのじゃない。

彼は、ずっとその時々の真実をただ偽りなく歌っていたのだ。』


そう感じた。


しかしとて。

『歳をとって昔の勢いがなくなった。丸くなった』と言われる、彼のような破天荒なアーティストは、その純粋さを無くしたわけではない。


純粋さは、彼の中でずっと生き続けていた。


だから。

わたしは、『彼らは、自らの純粋さにより、死を選ばざるを得なかった』のだと思う。


自らの痛みを表現して、純粋にしか生きられない、根っからの自由でピュアな魂を持つ天使たちにとって、

欺瞞に満ちた世界で生き続けることは苦しみに等しい。


20代までは、社会がそれを許してくれた。


しかし、30代あたりで、魂の純粋さに物理的・社会的な年齢が耐えられる限界が来るのだろう。


だから、彼らは純粋を生き切り、この世で生命を繋ぐことを断念したのだろう。


わたしはそう感じた。


心から これからも推しを愛している。


ガチ恋同担拒否なので推しが誰かは明記しないが。

(存在を明記されないのにこんなにもズブズブな愛情を見せられる状況を生み出してしまい、申し訳ありません…)


わたしは、もしかしたら この純情(私の場合は、ガキの悪あがき、我儘なのかもしれないけれど)を守りきれず、自己欺瞞を重ねて 結婚して家庭に入るのかもしれない。


でもね、最近ホ・オポノポノを実践したり 講師の方々のインタビュー記事や書籍を読んでいて感じたこと。


どんな状況になろうと、どんな風に人生に翻弄されようと、魂それ自体は、それらの出来事によってけして汚されない。


だから、わたしは わたしに展開されていく人生を受け入れたとしても、魂だけは 死ぬまで綺麗でいよう。


そして、その魂で、この世から離れたら まっすぐに推しに会いに行こう。


その時 推しがすでに新たな人生を生きていたら、彼(彼女かも?)を守り続けよう。


それくらい、推しが好きだ。


なんだか、何の話かわからなくなってきた。


なんだか 結婚観とか考えてたら、死生観や魂の話まで深堀することになり、そこまで転がってようやく落ち着いた感じ。


そして、最後に足りないピースを埋めてくれたのが、なぜか推しの 例のバンドだったって感じ。


まとまらないが、後で推敲するつもりで 投稿してしまおう。


推しよ、こんな時まで 助けてくれて ありがとう。


そして、こんな駄文を読んでくださったお方、本当に本当に ありがとう。