仕事場の近くに小さな川が流れています。
その川は札幌市内に流れているにもかかわらず、ニジマス、ヤマメ、ウグイ、
秋になると稀にですがサケが遡上してくるなど、色々な魚を見ることが出来ます。
その川は本当に小さな川で、水深も浅く河川敷は両サイド合わせても4m程度。
春から夏にかけて両サイドの草は豊富な水分により大きく成長し川が見えなくなるほど成長します。
とても小さな自然ですが、そこには大きなサイクルがありその小さな自然をこわしてしまいそうで
自ら釣りあげるような事はせず、お気に入りの橋の上からわずかに見える水面で、魚達の泳ぐ姿や、
虫の捕食シーンを眺めたり、四季を通して変化する魚影の濃さや、魚体の大きさ、などを観察し
早朝や昼休みの楽しみにしていました。
そんななか、毎年放置されていた両サイドの雑草を一人の男性が草刈機で草を刈っていました。
その川は北海道管轄の河川。でも草刈をしている人は一人で、道職員にも見えないし、雇われている
業者っぽくもない。詳細は分からないのでなんともいえませんが、数日後数百メートルの区間の河川敷が
綺麗に伐採されました。伐採された草は河川敷に放置されてたままであることを考えると、
やはり道職員でもなければ道に雇われた業者でもなさそうです。
その小さな川は河川敷の草がなくなった事で川の水面が見えるようになり、公園を流れる川のように
水面が見えとてもさっぱりとした見た目の良い川に変貌しました。
川の生物を観察しやすくなって良かったと思うかもしれませんが、その逆です。
いつもの橋の上からいつも見られた魚が激減し、ほとんど見れなくなってしまいました。
鬱蒼と茂る河川敷の雑草は、人間にとっては「だらしない!」、「虫が沸く!」などの理由で刈られて
しまうのでしょうが、川にいる生物にとっては家の屋根を取られるようなものなんでしょうね、
夏の強い日差しから逃げる場所もなくなり、水温は上昇、エサとなる昆虫は水面に落ちる確立も減り、
外敵から安易に空から狙われる棲家になってしまったのですから、それは引越ししますよね。
その草刈をした人がどういう理由で刈ってしまったのかは分かりません。
大きな河川敷で防犯上の理由から草を刈るのでしたら、なんとか納得できますが、この小さな河川においては
釣り人以外に人が歩いているのを見たことがありません。
自然に手をかけるとき、自然と触れ合うとき、いろいろな見方が出来ます。
自然保護の視点、防犯からの視点、住み良い町作りからの視点、防災からの視点、
ちょっと考えただけでも沢山の視点があります。
その視点それぞれの正論があり、またそれぞれの視点の考え方を受け入れれないこともあります。
人間が思い描く美しい自然とは、そのほとんどが人間の都合の良い自然があることが多く
それぞれの自己中心的考え方でその自然に接していることが多いと思います。
他の人の視点からみた行動を、自分一人の視点や価値観で公の場で怒りをあらわに100%批判することは
上記の理由から正しいとは思いません。が、納得できない事が多いですよね・・・・
なんだかうまくまとめれませんが、とても残念な気持ちから長文書いてしまいました。