サンマルクカフェのコーヒーはやたら苦いうえに奥深さの欠片もないけど、チョコクロは美味しいです。
ぁあ、家で双子の片割れがドリップしたコーヒーがチョコクロと一緒に飲みたい。

なぁんて、今、乗り換え駅のカフェでまったり。

通勤快速が来るまで、20分ほどの空き時間があるので。


まったりができるカフェが好きです。
そこで道行く人を観察しながら、絵を描くとか、服のコーデを考えたりするのが好き。
でもなにより、なんにも考えないでぼーっとしてるのが楽しい。

カフェは砂漠に似ています。
なぜ砂漠か。
や、本当はなんでもいいんです。通常の生活圏内(家とか、学校とか、職場とか)から逸脱した場所なら。
ただ、昔読んだ論作文のなかで、砂漠に行った著者がそれを感じ、語っていたので。

カフェという空間は、休憩の場であり、他者と共有する場でありながら、同時に一席が私的な空間に変化します。

立ち寄ったカフェには自分の最低限の手荷物以外、カフェで、その時最低限必要な食べ物だけを、所有することになります。
ですが、それでその瞬間、人は満たされるのです。

確かにカフェの設備だけでは後々苦労しますが、それに何点か条件を足せば、生物として十分に生きていける。

家には服なり、本なり、そういった財産を沢山所有しながら、本当はもっと少ない物だけで人間はいきていることを、何もないカフェだからこそ感じることができるのです。

そうしたとき、なんて自分は多くの物を持ち合わせているのだろうことを知ります。
親の脛をかじり、生きている私でさえバイトしたお金で洋服ダンスに沢山の服をもち、なんと多くの本を買って持っていることか。

そしてそれらに縛られていることを知るのです。


カフェのなにもない机をみながら、それ以外何も持ってない自分を想像するのも面白いものです。

ま、でも、日本は砂漠ではありません。
潤滑な社会生活を行うためには、服も知識も確実な身元も必要です。まあ所詮は一学生の妄想なわけですが。


あーでも美味しいコーヒーはやっぱり生きていく上で欠かしたくないなぁ。