自ら望んだのではない宗教に自分の人生を操られメチャクチャにされたと感じている人は多いと思います。
こうなってしまってはもはや自分の力ではどうしようもないと感じてなにもかも投げ出してしまいたい、なにもかもブチ壊してやりたいと思ってしまうこともあるでしょう。
自分の人生に絶望していますか?
もうダメだと思ってしまってますか?
大丈夫です!
自分の人生を形作るのは他の誰でもなく、自分自身なのですから。
今日は、映画「マーガレット・サッチャー」の中のあるセリフを野営地@サテライトスタジオの焚き火にくべよう(無許可)。
その映画の中でマーガレット・サッチャーさんはこんなセリフを話します。
『考えが言葉になり、言葉は行動になり、
行動は習慣になり、習慣は人格になり、
人格は運命を作る』
このセリフの「運命」をその人の「人生」と置き換えても差し支えないでしょう、私はそう考えています。
つまり・・・
自分の言葉が自分の人生を形作ることになると言っているのです。
頭の中でただ考えたり想像したりしているだけではそれは自分の人生の形にはならない
それを言葉に出して初めてそれはこの世界に「ある」ようになるのです。
そして自分が出したその言葉を受け取るのも自分になります。
ある人がこう言っていました、「神様はもの凄く耳の良いマスターや。
もう嫌だ!って言うと、はいどうぞ!ってまた嫌なことがやってくる。
バカヤロウ!って言うと、はいどうぞ!ってまたバカヤロウなことがやってくる」
そうなんです、この世界はそのように造ってあるのだと思います。
「蒔いたものは刈り取る」これは宇宙法則なんです、その蒔くものの最たるものが「言葉」なんだ。
自分の人生をコントロールするのは自分自身から出る「言葉」だ!、それを忘れないようにしようと思う。
実はそれは聖書にも記されている
「人の口の実によってその腹は満たされる。人は唇の産物をもって満たされる。
死も命も舌の力のうちにある。それを愛している者はその実を食べる」 箴言18:20,21
ある翻訳ではこうなっていました
「人生は自分が何をどう言うかによって支配されるものだ。人生の果実とは、自分の唇が育ててきたものだ。」 by超訳聖書
我々JWはこんな言葉をよく使うのではないだろうか
「罪深い」
「試練」
「迫害」
「永遠の滅び」
「悪魔サタン」
「大艱難」
「ハルマゲドン」
「誘惑」
「反逆」
「忍耐」
「耐え忍ぶ」
「不完全」
・・・
・・・
こんな言葉を一日に何度も口にしたりしてはいないだろうか?
結局のところそこからイメージする悪いものを集め寄せているようなものなんだ
だからそこにいる人たちは一心に不幸を身に集めて心と体からも輝きを失っていくことになるのだろう。
そんな言葉を聞いたとしても自分の後ろに投げ捨てて消してしまおう、
自分の言葉とはするまい。
加えて
もちろん私は思考停止型JW擁護をするつもりは毛頭ありませんが、
組織の実態を暴くその刀で神も仏も(笑)聖書も聖典も、そしてそこに人生の多くを費やしてきた人々の心根までも無残に斬捨てあとは野となれ山となれ、すべて消し飛んで滅んでしまえ、全ては無駄であり無意味なんだとしてしまうような傾向には賛同しかねます。
自分にとって励みにならないマイナスなものばかりに目を留めていると喜びは失われ、否定的な思いばかりに心を支配されてしまう。
心が否定的なもので満たされているならそこから出てくる言葉はどのようなものになるだろうか?
その言葉は決して自分にとって輝く未来を作る言葉にはならないだろう。
『終わりに兄弟たち、何であれいいことあったらそれを考え続けてね
』
byフィリピ4:8
空は青く澄み渡り、今日も僕は自由だ。