何故?貴方は教会に行くのか?
何らかの自由を得る為ですね
キリスト者の自由~キリスト者の責任
勿論社会的にも自由と責任はセットのものです
責任ある行い~行為とは何?なのか
しかし我々は不安になりがちですけど
罪の告白をし信条を告白し聖餐を食べて
十字架上のイエスに全てを委ねるのですね
このイラストは好きなんですけど幼子のようになれば自由と言う意味ですね。
父~子~聖霊 三位一体。
信仰があれば行為は全くの自由になります
酒~タバコ~姦淫でさえ自由になれます
これは世間の誤解を恐れずに言いますけど
人間は不完全なのです神だけが完全なのですね
神~イエス~聖霊の力なしに完全にはなりません
聖霊の力の働きを感じる空間~教会
イエスのからだである教会でパンと酒を味わう
聖霊が働いていない教会は意味が無いのです
イエスキリストという名前を呼び集まった集団
日本ではキリスト教団と呼ぶのでしょうけど
一部聖霊が働いていない教会があります
教会という名でも其処は・・・無意味です
我々は神~イエス~聖霊に会いに行くのです
憐れみを期待し・・・望み・・・キリエエレイソン
机の上から落ちる屑を拾う事も出来ない身であると
じゃあ律法(縛りつけるもの)は無いのか?
行為(社会的善行)を規定するものは無いのか?
これは非常に我々も疑問に感じる事です
我々は何故?旧約聖書を読んでいるのか?
律法が無いのなら旧約は(古き契約)捨てるのか?
いやいやそうではありませんね・・・
旧約聖書の物語はどう捉えたら良いのか?
クリスチャンはまず新約(新しい契約)なのですね
古い契約には縛られないはずですね
文字に縛られなくなると言うことですね
我々日本人は日本語という記号に縛られて居ます
じゃあ旧約は・・・目に見えない形で働くものです
十戒を覚えなくても良い~不安なら暗唱する
旧約があるから新約が有るとも言えますね
我々クリスチャンには行為を縛るものは無いのですね
縛り付ける必要が無いのですね自由を得たから
行為を縛る戒(いましめ)を潜在意識に取り込んだのです
霊的に働いて我々の中に滔々と常時流れています
塞き止める必要がない縛られないで自由に働くのですね
旧約というダムを解放したのが新約聖書の福音です。
川は塞き止められず滔々と流れ大河となり海に注ぎます