家主くん と わたしは

その年の5月に
家主くんが、17歳になったばかりの頃からの

知り合い の 知り合いである。

で、もって
知り合って11年、
じと〜っと勝手に
好きで居続けてくださり、

ヘンテコな昔風の

えっへん 
いいですか。
ようくお聞きなさい。
田舎といえど、
他所とは、違って

いいですか?
うちはおっきい
ちゃんとした お家なんですからね〜!

続けようとする、

実母やら〜、
戸籍上の母やら〜 

(↑ 実母の長姉で。実父の長兄の嫁でもあり、子どもがいませんでした。土地の問題で先々ややこしいことになりたくないとのことで、気がついたら、わたしの知らない間に、戸籍を親たちが相談して動かしていたので、わたしは、びっくり!)

親戚筋の微妙な「ちから関係」やら〜、冠婚葬祭やら、あれこれの
社会的儀礼への不適合やら

お家にいると
生きてる〜とか
年を重ねて、成長してる〜って
感じが。
さっぱりしない。
実感わかない(生活実態がまず薄くていいなりだからか、記憶もさっぱりない!)毎日でして。

まあ、
自分のヘンテコさに

もう ヘトヘト〜に なって
疲れ果てたり
イヤになっているところを、

うまい具合に

なにかの拍子に
興味が尽きぬ
虫かなにかのように、
捕獲され、

くっついて結婚しちゃったのだと思う〜!

でもって
そのおかげで

家主くんのお母さん
つまりはお姑さん
3人の娘たちや、いろんなひとや、いろんな出来事に
出会えたのである、

じつのところ、
すごく
すっご〜く

心からの
感謝 はしている、感じてるー!

‥と、念をいれて
自他ともに
説明しといた上で
さて。

この日曜の夕方のこと
総額二千円くらいの
見当で、
予算内に納められる
よう、気をつけて
買い物をしに、2人で
出かけた。

家主くんの運転する
車🚗で。


夜型人間の 家主くんと
朝型人間の わたし。

しかも、
父が、大の大好き〜、
この世で、1番大事なひとよ〜、

な、次女ちゃんは、
頭痛そのほかの不調で
お布団のなか。


こんなふうに
2人っきりで
お話が出来る機会は、少ない。

貴重だ〜!
いまだ〜!
いましか、ない〜、




だから、
わたしは

家主くんに言った。

「あのね、家主くんは睡眠障害でロングスリーパーなんでしょう?、

午前2時から3時半に寝て、午後1時に
やっと起きれて身体が動く。

それは、もう当たり前で、貴方は、もう出来る努力は
しつくしてる、わたし、ちゃんとわかってるよ。

だからね、2階から1階に来たとたんに、まず、ごめんね〜って言うの、
口癖になってる。

それは、
必要ないと思う。それよりも、ね〜。

 🐸‡№🐸‡№🐸

よくわからない うちに

勝手に

「ボクの 将来の運命の
お嫁さんがここに、いた〜!」

と、思われてそのまま、

断っても断っても
わたしとゆうニンゲンに
こだわりにこだわって

わたしの「約3時間」をかけての
いろーんな事情説明 をも

ご自分の都合でか、
聞き飛ばすとゆうか、認知せずに
求婚し、

あとは

成行き任せ の
出しっぱなし の 他力本願。

2人で始める
新しい
生活の 工夫も相談 も
まーるーで、なし!

なんとなーく
わたしを
自分にくっつけとくために

「世の中そうゆうもの、なんでしょう?」

と、知ったかぶって

子ども増やした
そっちのほうを

そして、起きてきた
いろんな問題を

なぜか、遠ーくの
ガラス瓶ごし

みたいな所から眺めてたこと。
 
そうして、
プラスチックの研究のお仕事して
しつづけて、

それ自体は
エライかったのかもしれない。

そうやって
社宅のアパートにも
住めたし暮らしてゆけて
故郷にも
お盆 か 正月に 帰省して

娘たちに 祖父母や叔母たちとの
時間をくれた。
会わせてくれた。


でも
自分のからだの異変のことも
感じないまま、

それ以外の
時間を、奇妙なぐあいに

誤魔化すみたいに
ぐだぐだと流して 

生きてきちゃってる。

おぼれて
あっぷあっぷしてる
わたしを

ふしぎそうに
眺めて見ていた、だけの

時間がずーっと
ずーっと、続いた。


長かった!



そっちのほうを、ですね。

わたしとしては、
あやまられたいのです。


この際だから
ぜひ、そこんとこを

くどいようですが、
家主くんに
わかっててほしいんですって。

「ごめんね〜。起きれなくて〜。」じゃなくて、

あやまる、としたら


「ごめんね〜、

勝手に 君を「自分のモノ扱い」して、他のひとから引き離しといて、

そのくせ、
他のひとに頼らないとにっちもさっちも
いかない状況を発生させといて、


それでもって


ボクじゃヤッパリ駄目なんだ〜、気に入らないんだ〜、ボクって、愛されてない〜。

傷つくなぁ〜、

君って
ホントに僕が
どうしたら、傷つくが
よーく、
よーく、
知ってるよね〜!

シクシク。チラ👁ッ。」

と、ゆう
ボク、じつは被害者〜みたいな態度!



あれに操作されるわたしが、

わたし、

もう、ホントに、いやなんだ。


あなたが
多少、傷つこうとも、

わたし
わたし
壊したくない!
壊しちゃいけない、
大事にしなくちゃ、
守らなきゃなのー!。

だから、

言わねばなりません。

いままで、
ずーっと、間違ってました。

いやなものは、いやなんです。


もう、い。やめて欲しい。





家主くん。

あのときの、あれは。

やはり、10代の青春期に
ありがちな

大変な 春ホルモン の作用。 

勘違いと
いっぽうてきな

青春期の思い込み。だったのでは?

あのね、
同じような 勘違いやら
思い込み を して

あの半年から1年くらいに

あーだ、こーだ と
告白しにきてくださったり

丁寧な自己紹介とか 
気持ちのこもった
お手紙 や、音楽🎧をつくってくださったり
した人が出たことは、


母には絶対、内緒の話だ。


そんなはずある?

「運命のひととの出会い」の
多量発生 なんて、


絶対、絶対、絶対
どこかが、
なにかが、

おーかーし、かったんだってば。




昭和のアイドル、
松本伊代ちゃんの歌じゃないけれど、

♪♫
みんな、まだ〜17歳だったから〜♪

仕方ないとは
おもうけど。




好きだからって
11年も、うじうじっと思いつづけて。

🏘家の問題と
自分の体調に精神不良な成長不良で

参って弱っているところを「捕獲」して、


結婚とゆう「飼育箱」
に入れて
30年も眺められていて、




家主くんも
わたしも。


体調やら経済てきな事。
ギリギリまでに弱って死にそうに
なってるまで

なーにも、わかる合図

お互いにやり取りできない。

叫ぶまで
倒れるまで
わかってもらえない、
わからない。



自分が
家族が なんだか息苦しそうに、死にそうになる。
そう見える。

だから

わたしは、不信におもうし、調べたし、本も読んだし、勉強したし、ひとにも聞いた。

病院めぐって
聞いてあるいた。





「飼育箱」のなかで

子ども 生まされて

「飼育箱」のなかで
弱って死にそうに
なりながら

家主くんが
なんか淋しくないため
にと、

眺められて
慰め、気休め役を
努力して、

笑えなくなって
死んでいきたくは
ないんです。



つくり笑いは したくない。
つくり笑いは させたくないの。

ねぇねえ、
笑って生きようよ。

うそっこついて
カタチだけ、外側つくって怖がりながら

暮らすの
よそうよ〜?


そのためだったら
わたしは、家主くん。一生 友だちでいられる。

3人の娘たちと、

それぞれの特質活かして
しあわせに 生きる生き方、
見つける、
つくる、
しあわせにする、

そうし合う仲間で、ありたい。

だって、

笑って
今日を生きたいでしょう〜?

笑って、笑って
死にたいじゃな〜い?