たくさんの 記憶。


だけど、
わたしは 何度か なくした。





あまりにも
精一杯を やり過ぎて。

倒れて 眠って 
起きたらさ、





まるで 世界が 真っ白で、


( ; ゜Д゜)
          ……   (((((゜゜;)
                      …………  (´・ω・`)


全然 知らない 
遠い  感じで

ゆらゆらする
剥ぎ取ろうとしても
剥ぐれない

透明で 分厚いカーテンの
向こうに
存在して たんだもの。



一番 はじめは、覚えてる。

まだ、
携帯もパソコン🖥️も
いじったこと 無かった。

長女ちゃんの 幼稚園での
いじめ その他の ことで

とにもかくにも
何かが 変だと
調べつづけ、
本を資料を さがし続けて。

眠っていなくて
精神科で 出される お薬が

どんどん 変えられ
強いものに なってた 1998年あたり。


なぜか 
わからない。

知り合いの

ふたりっきりで
食事もしたことないし、
手もつないだこともない
……ってゆうか、


手をつなぎたい と
思うどころか、

いっしょに歩きたい とも
思ったことのない。


出来れば
上手に 距離を とって、

傷つけたくはないけれど、

近付き過ぎないで。

出来れば、
関わらないでいたいなぁ……って

そう 思っていたはずの

苦手な
男の子の お嫁さんになっていて




しかも、
ふたりもの
可愛い 女の子の、
『 お母さん 』に



なっていたんだから、な。




そりゃもお、
びっくりしたさ~❗️。





わたしは いま、考えてる。




いっしょう懸命

手探りで  歩いてきた道。



わたしの 歩き通してきた道を

考えている。



いま思えば
乱暴な あつかいをされて

流れていった
2週間から1ヶ月くらいの
ちいさな
ちいさな

生まれて おいで
大丈夫だよ~。って

全然、
言ってあげられなかった

3番目の 👶 赤ちゃんのことも。




🇵🇭フィリピン のひとに
🇰🇷韓国 のひと 🇨🇳中国 のひと
🇸🇪スウェーデン から来たひと。

わたし だけが 🇯🇵日本人だった

末っ子 の
   メイ(←本人の希望により、あくまで仮名❗️)の……、

 
🇵🇭フィリピンのお母さんの
お産の
通訳しながらの

笑える 出産、ドタバタ劇も。





全部、全部。
考えてみてる。

最初から。




いろ を なくした
日々だってあった。
長かった。

だけど

もどれた。
天上 大風  あの 空のいろ。



天上大風   吹かせにゃならぬ。

そこに お空が ある限り。