こんにちは!八月も終盤に近づき、早くも秋の虫の声が聴こえ始めている晩夏の夜です。


今回は自己紹介も兼ねて、僕が少年愛者になった理由、といってもそれは理論的に解析できるものではないですが、これまでの生い立ちを披瀝して、少年愛者になるまでに至るプロセスを大まかに辿っていければと思います。


まず小学生時代の話をしましょう。
小学校低学年のころ僕は典型的ないじめられっ子でした。複数の同級生の男の子にいじめられては泣いてばかりいるような子でした。
そんな気弱な少年であった僕ですが、母親は本来、僕を野球少年にしたかったそうです。僕が母親に少年野球チームの体験に連れられたとき、そこで監督に怒られたことで泣き出し、入ることを断念したという経験があります。その一件から母親に長年そのことを詰られるような少年時代を過ごすことになります。


短く刈り込まれた坊主頭、日に焼けた肌、屈託のない笑顔、明朗快活だけど悪戯をはたらく一面、そんな野球少年をモデルとした“少年らしさ”に僕が惹かれてしまうのは、これまでそのような“少年らしさ”を周囲に強迫されてきたことが大きな原因なのではないかと思うのです。


このような体験を経て、中学に入学した僕は一人の男の子に恋をしてしまいます。それは一つ年下の子役の男の子でした。
彼のことは、パソコンのディスプレイに映る画像でしか見ることができませんでしたが、その時の僕は自分がゲイであるともショタコンであるとも自覚してはいませんでした。性欲のやり場は専ら彼に向いていましたが、なぜ男であるのにこんなにも彼のことが気になってしまうのか、12,3歳の僕にはまだ理解ができませんでした。


自分がショタコンであると自覚するに至ったのは高校一年の頃でした。それは16歳であった僕よりも遥かに年少の少年を愛してしまったことで、異変に気がついたのです。その頃にはインターネットでショタコンという単語も知っていましたし、見識は深めていく中で、自分にその傾向があることを悟ったのです。


それまではネットに上がっている少年の画像や動画で性処理をするだけで、何も不安を抱くことはありませんでした。
しかし高校を卒業するにあたって必然的に社会との関わり合いが密接になる中、少年愛者では生涯孤独なまま過ごすかもしれないという、絶望感に苛まれるようになりました。

大学に入り、抑うつ気味になってしまった僕は心療内科やカウンセリングにも通いました。今では向精神薬を処方しながらなんとか生活をしています。


なんかいまいち締まりのない文章になってしまいましたが、僕の少年愛遍歴の概観はできたとは思います。


まだ恋愛を経験したことはありませんが、性的志向が少年だけでなく、一応は成人男性にも向くことは、僕にとって唯一の救いではあります。
ですが、少年愛者として生きていく以上、少年愛の悩みを抱えたまま漫然と過ごすのではなく、その感情を抱く自分に向き合い、折り合いをつけることで対処していかなければならないと思います。

まだまだ未熟で抽象的な結論しか出せませんが、たくさんの少年愛に苦しむ人々に、ブログの文章を読んで頂き、反応をもらえることがさしあたっての僕の目標です!!