《沖縄本土復帰50年》
※1972年
忘れられない出来事がある。
復帰前年の盆踊り大会。
私はしつこく覚えている。
町主催の小さな盆踊り大会。その中のイベント、仮装大会に誰でも参加する事が出来る。
私はその年、頑張って仮装大会に出る事を決めた。
小学校五年生だった。
いつもの正装パンタロンを着て、顔に真っ白な化粧を施し、演題は『ちんどん屋』
超手作り。
来年沖縄が沖縄県になると言うことなど知りもしなかった。
一つ年下の『ひろみ』ちゃんが、美しい化粧を施し美しい琉球衣装を着て仮装大会に参加した。
襷をかけていた。襷には
『本土復帰これからもよろしくね』
などと書かれていた。
ひろみちゃんと言う子は、能面の様な顔をしていた。笑った顔など見たこともなかった。
いつも、ツンとしていた。周りに関心がない様に思えた。
その仮装大会でもひろみちゃんはツンとすましていた。
私を含め小学生はすごく適当な仮装だった。
しかしひろみちゃんだけは、思い切り何人もの大人の手を借りた仮装だった。仮装と言うより琉球衣装のコスプレ。
ひろみちゃんはツンとしていた。
ひろみちゃんのお父上は、町の有識者かなんかだった。
有識者を迎えるテントにお父上は鎮座していた。そのテントの中の人は全員ひろみちゃんお父上の関係者だった。
私は自分が必ず優勝すると確信していた。
子どもらしくお金もかけず、一生懸命頑張ったのだから、私が必ず優勝する。
しかし、優勝はやはりと言うか、大人の手がどっぷり入ったひろみちゃんの
『本土復帰これからもよろしくね』
なのであった。
アナウンスされると、件のテントから、屈強な若い衆が何人も出て来て、ひろみちゃんを高々と担ぎ上げた。
その時ひろみちゃんはすごく嬉しそうな笑顔を見せた。
ひろみちゃんの笑った顔など初めて見た。
その夜、盆踊り帰りにアイスを食べた私は腹を下した。
沖縄が沖縄県になる事を知ったのは、その翌年の事だった。
パスポート要らなくなる。とか、ドルから円に変わる。とか、車の車線が右から左に変わる。とか、色々と変わる事を知った。
戦後生まれの小学生は、沖縄の背景など全く知らず、『南沙織』の美しい長い髪と少し浅黒い肌の色に、この人もアメリカ人から日本人に変わったんだな…。
それってどう言う事なのだろうか?
漠然と日本人に県が一つ増えたのだ。
くらいにしか思わなかったのである。