《戦争を知らない子供たち》
※コロナ禍を知らない子どもたち
今後、こう言う子どもたちが生まれてくる。
その時、その時代の子どもたちは、振り返り、過去にあったこのコロナ禍について、どう言う考えを持つのだろうか?
※例コンサート
①『コンサート中止になったんだ!可哀想…』
②『こんなに人がたくさん集まって音楽聴くの?歌うの?怖い!』
※例外食
①「みんなでしゃべりながら食べるの楽しいのに!可哀想…』
②『ご飯食べるのにおしゃべりっているの?飛沫飛ばしながら?食べるの?怖い!』
※例学校
①『休み時間に友達と遊んだり、遠足行ったり、勉強教え合ったりするの楽しいのに!可哀想…』
②『zoomで済むのに、わざわざ学校に行くの?毎日、あんな狭い教室に人がたくさん集まったら、気持ち悪くて怖い!友達?ネットで見つける』
※例買い物
①『毎日、お魚やお肉や野菜を見ながら献立考えるの楽しい!旬の食材見るのも楽しい!それだけの事も制限されて可哀想…。」
②『ネットで買えば、他人と接触する事もないし、スーパーなんかより段違いに種類がたくさん!それをテレビの大画面で見られる。持って来てくれる。それなのにわざわざスーパー行って手を消毒してまで買い物するの?無駄じゃない?』
さて、①のご意見か②のご意見か。
どうなることやら、すごく知りたい。聞きたい。
その日が、近い日か遠い日か、それさえも分からないのが現状。
今、2年前のことをあれこれ思い出しては、あの頃は良かった症候群に陥っている人がたくさんいる。
私が生まれた時。
戦争は海外の出来事だったが、親世代、祖父母世代は戦争を日本で体験していた。
我々は学校で、いかに戦争は悲惨で理不尽であるか。二度と再び起こしてはいけないと繰り返し習った。
その学習の中で、戦争反対する偉人についても勉強した。
戦争についての悪口を言う一般人が、憲兵にしょっ引かれる話も勉強した。
戦時中教科書が検閲で真っ黒に塗られた話も聞いた。
『戦争を知らない子どもたち』の一人である私は、親世代が何故戦争に反対してみんなで止めなかったのかを疑問に思った。
すごく疑問に思った。
民主主義の世の中しか知らない『戦争を知らない子どもたち』
である私は、そのような事を言って、両親を困らせた。
そして、祖父母世代を容赦なく責めた。
戦争特需などとんでもない!
祖父母は繼の当たった服を着て、穴の空いた靴下を履いていた。
そして、口をつぐんだ。
戦争のない平和な時代を生きる
『戦争を知らない子どもたち』
は、肥満児が出るほど美味しい食べ物が常に家庭にふんだんにあり、腹が減る事は一切なかった。
豊富な食べ物を食べ、お洒落な洋服を着、雨風に一つも当たることのない暖かい家の中。
真冬のアイスクリームを舐めながら
戦争に反対しなかった親世代を責めた。
さて、コロナ禍である。
ただただ、国の方針に従うのはいつの世も同じ。
一般人が持てる力は、砂粒の一粒にも満たない。
そんな事を微塵も考えたことのなかった、お気楽な私たちは、今、国に対してささやかに抵抗するか、黙って受け入れるか、何ともキレの悪い状態に浸かっている。
世の中には自分の力では、なんともならないことが存在する。
その中で、のほほんと暮らせる人こそが、真の幸せ者だと思う。
そう言う人は、いつの世の中にも存在してる筈だ。
#五十嵐先生
#戦争を知らない子どもたち
#コロナ禍を知らない子どもたち
写真は紀元2600年記念(1940年。昭和15年。一番左が戦死した伯父享年24歳。右端が現在90歳の母。)