たとえどんなに

正義によって

 

悪とみなされたとしても

 

どこかにその「悪」を

認めるときがくるとしたら

 

それは自分が悪になる時かもしれない

 

 

生まれるときはその先に

何が待っているかは知らない

 

けどそこでもがくことは

みんながしてきたことなのかもしれない

 

だとすると

苦しみの中で

 

もがくことが

悪だと言われたとしても

 

それで生き延びて

だれかを助けることがあったなら

 

その人はその悪である人生を

生きていてくれてありがとうと

 

言うこともあるのかもしれない