よこしまな心

 

邪と書いて、よこしま

 

 

僕の知り合いによこはまクンがいまして

 

おやっさんによこしまクンなんて言われていましたが

 

邪なやつめといわれては

悲しいものです。

 

 

邪悪という言葉は人のためにあります。

 

しかしそれを人に名づけるというのは

 

それこそ邪悪かもしれません。

 

 

私は邪悪さも一つの生存本能だと思います。

 

人を食らって生きるような人も

それが彼らなりの生き方なのだと思います。

 

そして私が好きなのは

カタツムリに寄生する、ロイコクロリディウムという寄生虫です。

 

カタツムリの角の部分に入り、

カラフルな色でうにょうにょして

 

鳥に食わせて、鳥のおなかの中で生き、

ウンチとして地上に降り立ち

 

再びカタツムリにくわれるという・・

 

おそろしいやつです。

 

 

まえにも人と虫ってにているよね~と書きました。

 

僕はこの寄生虫のようなおぞましい存在も

 

人の一部分にはあると感じています。

 

そしてそれは生きる力である。

 

だけどいうなれば邪悪って感じ。

 

 

いやですもんね、なんか目のところにいつも

カラフルなものがうにょうにょされて

 

それを見た人が、寄ってくる。

「○○さん、カラフルでかわいいね」

 

でも本当は別にそんなもんによって来てほしくなんてないのに。

 

わたしはふつうのカタツムリとしていきていたい。

 

 

人の邪悪な姿として、鬼がいる。

 

鬼も角があります。

 

角がある人のことを鬼というのかもしれません。

 

 

このツノって、人には生えていないのに

 

生えたように描かれる。

 

絵の世界ではね。

 

 

ツノって動物にはあるから

そこから借りているのかもしれない。

 

ウシとか、シカとか。

 

では角の生えた人ってどんな人なのでしょうか。

 

単純に鬼ってのは、すでにおっかない!ってイメージですが、

 

角の生えた人はなぜおっかないのでしょうか。

 

 

例えばウシなんかは、その角で人をまくしあげたり

痛そうなことをします。

 

闘牛士の映像とかを見たり、話を聞くと

ウシは怒っている。

 

 

怒っている。

角がある、人をまくしあげる。

 

おっかない。

 

なんでそんなことするの?

ウシさんは怒っているから。

 

怒っているということは

危険を感じているのかもしれません。

 

なぜでしょうか、

人がそのように仕向けたからかもしれません。

 

 

さて、少し話は変わって

 

ことばについて

インターネットの掲示板とかで

 

こんな体験をしました!って

凝った文章で書いてる方がいますが、

 

私はそれを見ただけで、もう恐ろしくて笑

 

人生でそんな痛いことがあるのぉ~!?

と悶絶します。

 

でも文章ですからね。

 

作っててもおかしくないんです。

 

でも私には本当のことのように

恐ろしい笑

 

 

何が言いたいかっていうと

 

私みたいな人は

 

たとえ嘘のつくりものでも

 

ほんとうのように恐れて

なお、行動にも移しちゃうことがあるってことです。

 

人がついた嘘でも

え~!そんな危険があるならこうしなきゃ!って

 

信じちゃうんですよね。

 

 

それってさっき書いていた

寄生虫が、カタツムリの目の周りで

 

カラフルにうにょうにょしているようなもので

 

そんなんどうでもいい

はずなんだけど、

 

んその存在に支配されちゃって~

 

あ鳥さんにくわれるぅ~

 

ってなっちゃうわけです。

 

 

自然ってすごいですよね!!

 

生きるために必死なんですから。

 

 

つまり人間にもそれほどまでに

 

命を遠くの世代までつなげてやろうという

しつっこいくらいのエネルギーが

あるんです。

 

 

そのエネルギーはカタツムリを操る

邪悪さかもしれないけど

 

しぶとい強さでもある。

 

「いい人」でいる前に

そんな人間の生き延びてきた力を

 

悪として

受け入れてもいいのではないでしょうか。

 

きっとあなたを守る強さが

その辺にある気がします。