隣の人ってみんないると思うんですけど
共に協力して生きているのでしょうか
笑
それって共にここに来ただけで
別にお前らと「共に」なんていきてねーよ
ということかもしれません。
ってことは
共に生きる事という概念は
協力ではなくて
別な意味なのかもしれません。
そばにいる人は
あなたとぬくぬくと肩を寄せ合い
なでなでしてよしよしする人ではないのかもしれません
そこでうちの今は亡きわんこ、
私がお疲れ様すぎて、ゆかにへばりついていると
よってきてクンクン顔のにおいをかぎます
そして何してんだろ・・・と
顔をぺろぺろなめてくるんです
くすぐったいな・・やめてよ
と思うけどてめえ美味しいのかよ・・と
思うほど積極的になめやがります
その柴は何してると思いますか
私から出ている何かを感じて(匂い)
なめるw
すると何が出てくると思いますか
なんかわからないけど・・
泣けてきたんです。
子どもの時って大泣きするじゃないですか
いや、子どものころからコラえてきたヒトもいるのでしょう!
ジブリのトトロのさつきちゃんは
お姉ちゃんをしているだけに
めいちゃんが泣くけど自分はしっかりしなきゃと
頑張っていました
でもやっぱりおばあちゃんの前では泣きたいんですよね
悲しくて、不安で
ほんとは泣きたいんです。
でもこらえてこらえて一生懸命いきているんですよね。
さて、、
ここでタイトルの支配と共生ということですが
私たちは身の安全のために
ある意味、支配をすることがあります
ここは車の走る道だから
飛び出しちゃいけません
とか
いわゆる「ダメ!」ということです。
ではなぜ「泣いちゃダメ!」なのでしょうか。
なんとなく「子どもじゃないんだから!」とか
そんな声が聞こえてきます。
「しっかりしろ!」とかね
でも、なんででしょう。
泣いたら負け
勝負から逃げる事
あいてに食われちゃう?
それとも、「うるさい!」って怒られるからかもしれません。
ほんとうは泣きたいのに
つまりお母さんがいなくて悲しい
お父さんもいなくて不安
どうしよう、ひとりぼっちだぁ
泣きたい!
だがしかし!
(だれも助けてくれないぞ。)
そう思ったら泣けないかもしれません。
(泣いても無駄だもん。)
だから、
「泣くな!うるせ~。そんな気持ちもういらない!」
って自分が見捨てたのかもしれません。
自分の心を支配するのは
孤独と不安、恐怖だとしたら。
泣いている子がいても
共に生きる感覚は
ありえないのかもしれません。
まずは自分の心を救いに
自己探求へと向かいましょう。
「わたしはなぜ?
こう思うのだろうか。」
きっと命として
あなたを守る仕組みが
働いてくれているのかもしれません。