職場の人となぜか話せない

 

その私の心はなにをみているのでしょうか

 

 

私の過去からひもといてみようと

 

幼少期の親の態度、どなる親であったこと

そして私が怒りを抑圧していたこと

 

親のために我慢しているんだ、

してやっているんだと思っていたこと

 

今もその怒りがずっとあり

 

ほんとうはただ大切にしてほしかった

親に頼るために私が我慢していた

 

 

でも今の私は成長して

周りの人たちがどなっていても

 

気にしなくてもいいはず。

 

だけど小さくなって何も言えなくなるか

逆に怖いからか、攻撃的になったりします。

(怒るなよ!と怒る人を攻撃する)

 

 

私が自分に感じる違和感は

 

お前、そんなにちいさくて弱いか?

 

ということです。

 

 

だけど実際の私の行動は

 

怒っている人に怯えてコソコソし

怒られないようにするためにさらに弱い人を犠牲にしたり

 

もう怖すぎてがくがくぶるぶるなんです!

 

 

でも、なんでそんなに?!

とも思います。

 

 

さてここで

心が現実をつくっているということについて

 

 

実際には、空を飛ぶ能力があるタカが

 

あるところに閉じ込められて

飛ばずに大きくなりました。

 

その鳥をタカだと知っている人は

君は飛べるんだよといいますが

 

タカは飛んだことがないから

空に放り出されたら落ちて死んじゃうんじゃないかって

怖くて仕方ない。

 

 

つまりタカは実際の能力とは関係なく

「自分は飛べないだろう」

と思い込んでいる。

 

 

その強く信じている心が

カゴの外に出ることを恐ろしいことと

感じさせるのです。

 

さてさて

私の話に戻りましょう。

 

私は職場の人と話せない。

 

ですが話す能力はあります。

聞かれたり、相手から話しかけられると

すらすら、むしろ楽しく話すのです。

 

 

でも、いつもむっつりして自分からは話しません!

 

なぜでしょう

 

さっきのタカの話に照らしてみると

 

私は人に話しかけることに良くないイメージがある

タカが、かごから出たら落っこちて死んじゃうと勘違いしているように。

 

それは現実ではないが

私の心にとっては、それが現実の「イメージ」である。

 

細かく言うと

私は父親に話しかけても否定され

母に自分の気持ちを話しても拒絶されたり叱られ

 

自分の気持ちを話すたびに

痛めつけられていました。

(というイメージを私がもってしまった)

 

そのせいで私は自分の気持ちを言うことに

こんな自分なんてどうせ愛されないんだ

という自己否定のイメージをつくります。

 

そして、

大人になり、社会にでて

なぜか話せない!!

なんでなんだ俺!

 

となりました。

 

また少し長くなってしまいました。

私にとってこのテーマは

根深いものがあるようです。

 

お付き合いいただいて

ありがとうございます。

 

 

自分の持っている自分自身のイメージ

それによって本来できる!と感じていいはずのことが

まったくもってできなくなる。

 

心が現実をつくっているんだ!

というお話でした。

 

 

レインボーブリッジ封鎖できません!

 

会議室でこうしようと思っても

現場ではできないこともあるんです。

 

なんでできないの!と自分を責めませぬよう。