母は昔から編み物が好きでした😌
私が子供の頃は、よくセーターやカーディガンなど、二つ上の兄や二つしたの妹の分も、いつも手編みで作ってくれていました。
でも、高校生くらいになると、だんだん母の手編みのものがダサく感じるときがあって、いつもと同じように「こっち来てみろ」といって、私の肩幅や着丈を測る母を、なんだかうっとうしくおもい、出来上がったものを当たり前のように渡してくれる母を、「頼んでもいないのに勝手に編んで。受け取って着るのが当たり前だと思わないでよ」などとおもい、「ボンボチッコ」と母が言うボンボン飾りや、ピンクの色合い等に抵抗を感じ、迷惑にさえ感じ、寸法確認のために袖を通しただけで着ることもなかったものもありました。
そんな母が編んでくれたもののなかで、ずっと捨てられずにとっておいたものがあります。
ベビーピンクのベストのようなカーディガンのような、、、、
23歳で結婚したわたしが、30年間ずっともっていたもの。
タンスの片隅にあったそのベストカーディガンを着るようになったのは数年前から、、、
母のありがたさとあったかさを素直に感じて、母こころをまとうような気持ちで自分でホックをつけて着るようになってました。
母に見せると、「よく持ってたねぇ~。」と嬉しそうにみていました。
そんな母も78になり、大好きだった編み物も、手の使いすぎによる筋肉減少と麻痺で、右手の三本指がほとんど力が入らなくなり、編み物をやることはなくなっていました。
それでも、ひ孫のためにと催促されてベビーーベストを編む母の編み物は、もはやリハビリのためとなっているようでした。
そんな母がかつて編んでくれたこのベビーピンクのベストは、今ではわたしの大切な宝物です。
あったかいのは毛糸だけでなく母の温もりを感じるから、、、そんなことが当たり前ではなくありがたいことだったと知るのに30年以上もかかってしまったけど、
そんなわたしの大切な宝物のベストに、先日電気アンカのかカバーにリメイクした残りで、袖と襟をつけました😄😄
残った上の部分