時間と気持ちに余裕がないと肥える私。
ジムに通うことにしました。
筋肉をつけてしなやかに生きたい♡
もっとワクワク過ごすために♡
楽しみ♪

大きな目標は10キロ減らすこと。
人生初の二の腕細くしてノースリ着たい♡
遺体の写真見た裁判員男性、一時意識失う…解任(読売新聞) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150205-00050001-yom-soci

何も免疫のない一般市民には裁判員裁判の全てが重すぎる。

仕事も休まなければならない、ショッキングな写真も見せられる、その後のケアもないのでは本当に重すぎる。

この制度、何一つ良いとは思わないです。

私はね。

そもそも力を注ぐべきは裁判ではなく、他方向なのではないかな。
国民に司法の理解を深めるためとか、国民の理解しやすい裁判とか、ちょっと方向が違う気がします。

国民に分かりやすく迅速な裁判を、と言うものの、それは、もとから働いていた裁判官、検察官、弁護人、全員にさらなる負担を強いている気がします。
法律の専門家ではない人たちに分かりやすく説明する手間が加わるにも関わらず、迅速な裁判を目指すとはまあひどい。

そして、裁判員の守秘義務。
まあそりゃ当然でしょうが、仕事でもないのに、人を裁くという非常に重たい責務を背負わせられ、更に漏らすなと。
この忙しない世の中、普通に生きてきてもストレス溜まるのにこんなん加わったら鬱になるわ。

被告がどんな人であれ、その人の人生を左右する立場に立たされるのは重い。だって同じ人なのだから。

そして、裁判員になったことで、人生が大きく変わるかもしれないということ。

心を病むと元に戻るまでが長くて辛いです。
こんな制度は誰得なんですか?
人を裁くということは本当に重いことだと思います。
司法の場にはきちんと勉強した専門家が立つべきです。
一般市民だって興味があれば傍聴だって出来ます。

裁判員に選ばれて幸せになることあるのかな。私は、苦しむ人が増えるだけではないかと危惧します。

この制度が続くのであれば、裁判員になった方のケアを本当に手厚くする必要があると思います。

犯罪の少ない社会を目指すのであれば、改善すべきはそこではないと。
起こった後のことに対して対策を取っても対症療法にしかすぎないと思いつつ。
人は生活していく上で、必ず何かでくくられる。

家族、クラス、学年、学校、会社、地域、県、地方、国。その他諸々。

それ自体は何でもないこと。

良いところを讃える時には団体でも嬉しいし、所属意識も高まる。
それは良い効果だと思う。


でも、何かを批判するときに一括りにされるのはかなわない。

だってその中にいるのは一人一人の人だよ。

みんながみんな悪いわけじゃない。
むしろ、大多数はそうではないのだから。
単にその中の少数が目立っただけで、それが注目を集めただけ。
それを一括りにして批判するのはどうなのかと常々思う。


中学生、高校生の頃、少し嫌な思いをした。

同い年の人が何人か、センセーショナルな事件を起こして中学生から高校生の頃にかけてニュースになり、世間を騒がせていた。

この年の子達は何だ?

この年には何があった?


原因を探ろうとテレビでもこんな話ばっか。


別に何にもないよ。
みんなと同じ。
大多数は何でもないのに、目立つ方に気を取られるだけ。


高校2年生の頃、時期は別だったけど、同級生が二人亡くなった。
原因は知らない。

二人目の時に、名ばかり緊急の学年集会が持たれて、学年主任の先生がこう話した。


「お前たち、いい加減にしてくれ。もうこれ以上先生方や親に心配かけるなよ。」

…?

泣いている生徒を前に、この人は何を言っているのだろう。

お前たちって何だ。

すごく冷めた気持ちで彼を見ていたことを今も鮮明に思い出す。


だから、ってわけでもないけど、私も気をつけようと思う。


大きなくくりとしての人ではなく、自分が向き合っているその人を見よう。

時に実体のない大きなくくりを、まるで一人の人かのように、一つのものかのように扱っていることがある。

それは時に大きな誤解をもたらしたり、悲しさや怒りを大きくさせたりする。


自分自身の都合や、思い込み、決めつけでコミュニケーションをとると相手を不快にさせるから。


世の中、いいことの方がたくさんあるのにね。